2017/11/24 06:20

「砥の粉」の産地で歴史が有るのは京都山科だが、元々砥の粉はこれを水で溶いて木材などの表面を拭くと、木材が白く見える、或いはその表面のきめが細かく見える事から建築などに利用される部分が多かった。

それゆえ大きな木造建築物が集まる周辺には砥の粉の産地が隣接していた経緯があり、また砥の粉は比較的日本各地に点在している資源でも有る。

この事から漆器生産に砥の粉が導入されて行ったのはごく自然な成り行きとも言え、漆器発生段階の早い時期から砥の粉はその下地材料として利用されてきた。

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一般に漆器の強度はその塗膜の厚みと反比例の状態に有る。

つまり素地で有る木地から塗装膜外部表面までの距離が長くなればなるほど剥離確率が高くなるのであり、本体、躯体が木製で有れば基本的にこの表面硬度を越える強度や硬さは漆の完全乾燥と共に、常に温度や湿度によって微妙に動いている素地に引っ張られ、ここから亀裂が発生する可能性を増大させる。

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この事から砥の粉が多く含まれる漆下地を用いる技法は剥離、若しくは角の欠損に対して強度が無い。

しかし砥の粉を多用した下地の利点はその研磨成形の容易さであり、シャープで鋭利な形状の角や繊細な装飾造形には適しており、この点で予めそれが使用者に理解され、強度よりも繊細さや美しさに重点が置かれた京都漆器の発展は、利用者が高貴な身分で有った事、民衆に美しさに対する理解が有った事が重要な背景と言える。

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そして漆器と言えば塗る事だけを重要に考えるが、成形と言う観点から言えば「研磨成形」の重要性と、塗ることの重要性は車輪の両輪の関係にも等しく、それは日本刀などの刀を鍛える場合でも鍛治が刀を鍛えただけでは刀にならない、そこに研ぎ師がいて初めて日本刀となるのに同じである。

ゆえ、刀の研ぎ師を名乗った「本阿弥光悦」(ほんあみ・こうえつ)では無いが、漆器で究極を目指すなら、研ぎ研磨を征してもその半分を征する事になるのであり、漆器は多くの技術が集まった総合的なものである。

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何か一つの技術が秀でていても、それは結局他の技術の支障にしかならないかも知れない。

漆は一点技術ではなく複合技術で有り、ここに木製の椀が有ってこれに強度を欲する時、一番最初に強度の強い生漆原液を塗ると良いように思うかも知れないが、生漆を何度も塗り重ね、その上から上塗りをする、つまり下から上まで全て液体の漆で仕上げる場合はこれでも良いが、途中の下地で砥の粉成分、或いはこれの加工下地粉末を混ぜたものを使用した場合は、密度の不均衡から剥離確率が高くなってしまう。

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つまり生漆目止め加工は万能に強度を保障するものではなく、使い方を誤るとその事が漆器の強度全体を低下させる場合も出てくるのであり、堅牢さに気を取られ闇雲に力を求める事は、強靭な体を鍛えても心が脆ければ、その人間がやはり脆く弱い事にしかならないのに同じである。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)