2017/12/07 05:20

例えば人間の血管網と樹木の枝、それに川を鳥瞰的に眺めた形は全く同じではないが、縮小したり拡大したりすると近似値を示す。

つまり似たような形になるのだが、これはそれぞれに構成されている物質が異なっても「形」としては似たようなことになっていく事を示していて、この地球は混沌(カオス)で有りながら、そこには自己相似性が存在している。

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このことから一つ一つは確かにカオスであり、あらゆる物質、生命は近似値を持ちながらその細部を知ろうとするなら、そこには「無限」が存在する事になり、そうした無限が複雑に入り乱れて構成されているために「完全」を求めることは不可能となっている。

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だが先の人間の血管と樹木の形の関係のように、あらゆる物質及び生命は形としての近似性があり、このことから絶対に同調しない波が無限に近いところを無限数走っている事になり、従って我々の住む世界では何かの結果の原因を一つに求めることはできないのであり、また現在地球に存在するあらゆる形は「カオス」が発展拡大した状態がもたらした「秩序」とも言えるが、この秩序は常に新たな「カオス」を内に存在させていて、現在地球に存在する「形」は刻々と変化し続けている。

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それゆえ人間が求める統計的数値がある種の「確定数値」であるなら、その統計的数値は時間経過と共に、或いは事象発生ごとに不確定、混沌へと向かっている事になるのであり、更には何かの事象発生原因を一つの理由に求めることは、初めから自然摂理を無視しているとも言えるのである。

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気象の周期は最大数億年単位、最も小さい周期で30年ほどのサイクルが存在する。

しかし冒頭にも述べたように、こうして現在我々が周期と感じているものも、実はカオスの中にあり、従って周期は放物線を描くように、秩序が構成される寸前には加速度的にそれまでの周期が崩壊し、こうした崩壊は自己相似性により小さい周期の方がより早い崩壊を示す。

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自己相似性(フラクタル)は細部で無限だが、大まかな点では近似値になることから、どこかで崩壊が始まると言う事はあらゆる事象、自然だけではなく政治や経済、人間、文化、生活など全てのものが崩壊に向かうと言う事であり、混沌(カオス)の究極が「秩序」であるなら、自己相似性とは細かい波線、若しくは線が限りなく近くを決して交わらずに、不均衡密度で並んでいる状態であることから、結果としてこの地球に存在する物質や生命は全てが大まかでは無関係に有りながら、連続する不均衡密度の線、若しくは波は全てが微細な「原因」を持っていて隣接連続し、それが「現象」となって行く。

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そして小さいものも、大きなものも同じような「形」、例えば個人が持つ悩みはそれが集積するに従って、「質」を変化させず悩みの「規模」が拡大するだけでしかないのと同じように、マクロもミクロも同一運命を辿り、混沌と秩序は円の上を移動する点のようなものであり、宇宙の秩序は密度の不均衡でしかなく、その平均は混沌(カオス)である。

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人間は何でも止めて考えてしまうが、実際の宇宙や自然は止まった状態など一度も無く、そして同じことなど一回も無い。

無限数で現れる雲は、似たような形が有っても、これまでに全く同じ容形の雲が出たことは一度も有り得ず、我々が秩序だと思っているものも実は全てが混沌(カオス)の範囲である。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)