「サバの味噌煮定食」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2017/12/08 06:31



30年近く前、どう言ういきさつでそうなったのかは解らないが、最先端のデザインと伝統をコラボレーションしたものを創りたいと言うデザイナーから連絡が入り、そして私は東京へ打ち合わせの為に赴いた時があった。
 
そのデザイナーは当時新進気鋭のかなり知名度の高い人だったが、私よりは少し上の30代前半の人で、長い髪にジーンズにTシャツ、それに少し暗いグレーのジャケットで、顎鬚を生やした細身の男性だった。
 
とても人当たりが良くて、私の仕事に関する要望も許容範囲が広く、事務所での打ち合わせは3時間ほどで殆ど終わってしまったが、遠く能登から出向いてきた私に気を遣ってくれたのか、打ち合わせが終わったら「食事にでも行きませんか」と言われ、私は喜んでこれに同意した。
 
そして彼と2人で外に出たのだが、どうやら彼が私を連れて行きたかった店はその日休業だったらしく、彼は苦笑いをしてまた歩き始めたが、やがて1時近くになり付近に田舎者の私が喜びそうな店も無く、仕方なく近くに見える本当に普通の下町の食堂と言う感じの店の前に立ち、「ここでも良いですか」と言う彼に、私は「大丈夫です」と答えた。
 
そして中に入った私達だったが、そのデザイナーは私に「何にしますか」と尋ね、私はもしかしたらおごりかも知れないと思って650円の「さば味噌煮定食」を選択したら、彼も同じものを頼んだのを見て、「ああ、この人もいつも時間が無い人なんだな」と、漠然とそう言う事を思ったものだった。
 
でもそうした時間の無い人が、年下の私の為に食事の時間を割いてくれた事が私は嬉しかったし、彼の為であれば報酬如何に拘わらず全力で仕事をしなければと思った。
 
やがて「さば味噌煮定食」がテーブルに運ばれ、私達は割り箸を割って食事を始めたが、その店には棚の上に14型の小さなテレビが置いてあり、こんな時間にと思ったが何かの歌謡番組が放送されていた。
 
2人とも黙って食事をしていたが、そんな時テレビから「竹田の子守唄」が流れてきて、当時ユーロビートで「行け行けドンドン」の時代には相当流行遅れの曲に、このデザイナーはどんな反応をするのだろうと思って彼に目を向けたら、彼は箸を持ったまま食事の手を止め、下を向いたまま黙って聞いていた。
もしかしたら彼は泣いていたのかも知れなかった・・・。
 
私は彼を邪魔しないように竹田の子守唄の演奏が終わるのを待って彼に声をかけた。
「この曲は好きですか・・・」
「あっ、いやそうでも・・・」
彼は私に何かが見透かされる事を恐れたのか、一度肯定しそうになって、次にそれを否定した。
 
「私も暫く前には上野に住んでた時が有って、そんな時この竹田の子守唄とか、高橋竹山とかを聞くと、暗くてダサくて大嫌いなんだけども、何故か逃れらないところがありました」
「どこかで故郷の事を思い出してしまうんですね・・・」
 
私は黙ったままの彼にそう語りかけた。
 
竹田の子守唄は部落差別の厳しい環境を歌ったものだったが、確か「赤い鳥」と言うグループがこの楽曲を出したとき、一時放送が自粛された時期が有りながらも、多くのアーティスト達に「この楽曲にだけはどうしても勝てない」と言わしめた名曲だった。
 
これを聞くとどんなに浮かれた場面に在ろうとも、私は故郷の父母や祖父母が働いている姿を思い出したものだった。
私は部落出身ではないが、この楽曲に出てくる風景は田舎の私の暮らしとそう大きく変わるものではなく、今でもこの楽曲を聴いていると、驕った自分が本当は何者なのかと言うところへ引き戻され、現実の前に流され続けて来たその姿を恥ずかしく思うのである。
 
かのデザイナーもおそらく部落出身ではなかったと記憶しているが、新進気鋭のデザイナーと言う立場が、もしかしたら肯定しかかって否定した在り様に現れたのかも知れない。
 
だが人目もはばからずに楽曲に聴き入る姿に、彼のこれまでと自身を重ねた私が有り、コラボレーションは無事成功したが、それから暫くして彼の名前は消えて行った。
デザイナーと言う回転の速い流れの中で生き残って行くのは大変な事で、彼もまたそうした流れの中に在る事を当時から知っていたのかも知れない。
 
私は竹田の子守唄を聴いて涙を流す人間の事は好きだ。
でもそれ以上に、その涙を人に見られまいとする人間の事がもっと好きだ。
誰よりもその人間を信じる事ができる。
 
彼もまたどこかで時にはこの「竹田の子守唄」を聴いているだろうか・・・。
そしてそのおり、故郷を思い、涙を流せる人で有り続けてくれているだろうか・・・。
 
出来れば死ぬまでにもう一度彼と一緒に仕事がしたいものだ・・・。
竹田の子守唄は遠い昔には私に故郷を思い出させてくれたが、今は故郷に在る私には、彼を思い出す楽曲になった。
彼もまた私の故郷になったのだろう・・・。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)