2017/12/10 07:36

もう20年近く前になるだろうか、仕事で某和紙産地の作家と共同製作品を作る機会が有り、私は細い紙の帯を朱や緑などの漆で拭いて、それを編み上げて敷物を作ったが、これに和紙作家が意匠を加えたと言う事で仕上がりを楽しみしていた所、出来上がってきたのは表面にべったり和紙が糊張りされた状態のものだった。

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これでは別に下で編み上げた漆の風合いなど始めから必要が無く、こうした作家の有り様に私は漠然とこの和紙産地の衰退の速さを見た気がしたが、同じ事は輪島塗にも言え、基本的に漆は塗料である事から、輪島塗職人は塗装工の範囲の中にある。

それゆえこれを勘違いすると「漆芸家」や「漆芸作家」なる者が存在し始めるが、自身の価値をこうした形で高める有り様は、他の塗装を職業とする者を賤しめるものとなる事を畏れなければならず、ここを間違えるとその作られた品物も卑しさから逃れられない事になる。

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江戸時代中期から晩期の指物(さしもの)と言って、箱など角のある器物を漆で塗ったものを修理していると、そこに塗り職人の名前は出て来ないが、箱を作った指物師の名前が箱に刻まれている場合がある。

私がこうしたものを見てきて思った事は、「ああ、漆は塗料なんだな」と言う当たり前の事だった。

だが輪島塗の世界に有って、そして輪島と言う地域だけで暮らしていると、どうしても漆が塗料で有る事を忘れ、まるで自分が作ったように思ってしまうが、本質は躯体に有る。

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つまり素地となる木製の器物が無ければ、或いは脱乾漆でもそうだが、元になる形が主であり、漆はその塗料なのである。

だから漆を塗ってはいけないものも存在する訳で、幅3尺、長さ6尺を超える杉や桧の板は、それだけで杉なら50万円、桧や欅(けやき)の場合200万円とも700万円ともの価値を持つのであり、これに漆を塗ると価値が下がってしまう。

ここでは漆を塗ってあることで何か不都合を誤魔化しているのでは無いかと見られてしまう訳である。

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同様の事は「神代杉」(じんだいすぎ・杉の化石化したしたもの)でもそうであり、基本的には桐箪笥(きりたんす)なども、漆を塗るとその空気や湿度調整機能が失われる事から、よほどの事情が無い限り、それを塗ってしまうと職人の質が疑われる事になる。

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茶道の千宗家十職の一つ「一閑」(いっかん)の「一閑張」の技法は和紙を躯体に糊で何枚も貼って、その上から柿シブや漆を塗って仕上げる技法だが、ここで注目すべきは「漆や柿シブ」と言う表現であり、明確に漆が選択塗料の一種でしかない事が記されている。

ゆえ、こうしたものを修理する場合、もう二度と絶対剥がれないように紙を漆で張ってしまうとそれが価値を失う。

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つまりこうしたものは表面の漆が切れて紙が剥がれてきたら、水で少しずつ表面の紙を剥がし、そこからまた糊で和紙を貼って仕上げるのが正解なのであって、これを輪島の堅牢優美に照らし合わせ、漆で貼って仕上げる事は、冒頭の和紙作家にも似たりの風情の無さ、傲慢な事になってしまうのである。

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ちなみに欅の話が出たので、お寺の丸柱に付いて最後に記しておこう。

直径1尺(30cm)の丸い柱は、古くは全て欅(けやき)が用いられているが、実はこうした欅の丸柱を日本で探すとするなら、1本が1000万円でも探すのは難しく、東南アジアから似たような木を輸入したとしても1本が300万円くらいになる。

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これらの木が何十本と使われた日本の古代建築のスケールを思うとき、自身のやっていることの小ささを思うのである・・・。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)