2017/12/18 07:03

「レオナルド・ダ・ビンチ」の名画「モナ・リザ」(La Gio conda)は、実は何を使って描かれているのが分かっていない。

筆なのか、また指や先を尖らせた木製のペンなのか、現代科学をしてもまったく見当が付かないもので描かれている。

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同じように縄文時代の日本漆器も、そこに下地が為されている事は分かっていても、それが何なのかは全く見当が付かず、この状態で更に弥生時代初期には中国、朝鮮半島文化によってそれまでが失われている事から、現代漆芸技術は縄文期技術全般に付いて空白域になっていて、その後の中国朝鮮半島伝来技術でも、例えば律令国家下の日本漆器で為された透明色の下地などは、現代科学テクノロジーでも一体何が使われているかは想像すら出来ない状態になっている。

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だがこうした中で、律令国家時代、平安時代、室町時代の発掘された漆器を見ていくと、そこにあらゆる技法が試されている形跡が出てくる。

柿シブ、石英の粉末、石の粉末、珪藻土(砥の粉)焼き珪藻土(輪島地の粉の原型)、砂、膠(にかわ)、土などその多様性は現在では想像にすら出て来ないものまでも使って試行錯誤が為され、これが止まったのは安土・桃山時代、或いは江戸時代初期で有り、これは陶芸に関しても同じである。

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すなわち日本工芸の全ての技術は「織部焼き」が発生した頃、あらゆる意味で完成されたと言う事なのであり、これから以降の日本工芸は劣化の一途を辿って来たと言え、多様な技術が経済性や環境的条件によって整理統合され、何千、何万通りとなっていた技術が数百程に整理されて今日に至っているに過ぎない。

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それゆえ現代社会の中でこれは自身が開発した技術と申告されるものも、それは過去に全て誰かが試している方法で有り、それを改変した「亜主技術」に過ぎない事を製作者は自覚しておかねばならないし、新しいものなど存在しない事を大衆は理解しておく必要がある。

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私がまだ弟子修行中の頃、師匠が異様な重量の「五段重」の修理依頼を受け、その過程で一度下地共々剥離する作業をしていた時の事だった。

下地に用いられていたのは何と海の砂であり、塩分とは嫌気性の有る漆に海砂を使う場合、何度も水に浸して1年ほどもかけて下地用の砂を作った事に驚嘆したが、その異様な重量はそれだけではなかった。

何と五段重の外側と裏側、それに内縁(うちぶち)に一段当たり12枚、合計60枚以上もの江戸後期小判が埋め込まれて下地されていたのである。

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これには流石に師匠も私も唖然としたものだったが、この事を連絡した際の修理依頼者がまた凄かった。

「先祖が子孫の為に残して置こうとしたものなのでしょう、私も子孫の為に残して置きたいので、元のまま埋め込んで仕上げてください」だったのである。

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「師匠、一枚づつ拝借しても分からないのでは・・・」と冗談交じりに言ってしまった自分の小ささ、低級さを思い知った気がしたものだった・・・・。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)