「偶然と運命が重なる」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2017/12/19 19:49

雷が落ちる時、それがどこへ落ちるかは決まっていないが、実は落ちる場所からもそれが誘導されている。

いわば不確定性原理の因果律と全く同じなのだが、例えば全ての手が読める将棋の名人同士が対戦したとするなら、その勝敗は対戦が決まった時点で決している事になり、勝敗確率は「先手必勝」である。

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だがこれは対戦する2名の名人がどこかの時点で止まっている事を想定したもので有り、生死を問わずこの世界の森羅万象は常にファイゲンバウム定数値で混沌に向かい動き揺らいでいるゆえ、そもそも全てが始めから不確定となり、止まった状態が有り得ない。

つまり運命と偶然は同義、或いは同時成立と言う関係に有るのかも知れない。

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そして同じ原理は輪島塗の最大の特徴である「下地付け」(したじづけ)にも言える事であり、通常漆器には下塗りと上塗りが有るが、この中で輪島の下塗りは強度と優美さの中庸である事から、日本の漆器の中で日野に次いで厚い下塗りをする。

糊と砥の粉、それに漆と珪藻土(けいそうど)を焼いて粉末にしたものを練り合わせ、それをヒバの亜種である「あすなろ」又は「あて」とも言うが、そうした木材を割って長さ27cm、厚さ3mm、幅は2cmから最大で20cmまでに加工した直角三角形のヘラで抑える様に塗っていくのだが、ここで大切なのは実際に漆を塗る利き手と同時に、塗る器物を持っている側の手の動きである。

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右利きの場合であれば、右手にヘラを持つが、この右手もさることながら仕上がりの精度や美しさにとって重要なのは左手の動きになる。

もし右手が上から下へ向かってヘラを動かすなら、左手はそれを補佐増長させるように下から上に向かって器物を動かし、これによって手や腕の運動機能が持つ回転性を補っていくのが理想的な在り様となる。

丁度雷が落ちるときに地面からもそれを迎える動きが有るのと同じで、もっと簡単に言うなら言語のようなものだ。

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人間の理解はそれを理解しようとしなければ理解できない。

弁舌爽やかで流暢な口調の人の話は、それが安定しているだけに聞いている側の理解は薄く関心も低いが、これが言語に障害が有る人の話となれば、聞いている人は出来るだけ多くの事を聞き取ろうと努力する。

それゆえ多弁な人の話より無口な人、言語を話す事が困難な人の話が、より人の心の中に届き易いのであり、これは話している人、漆器で言うところの右手よりも聞いている人、漆器では左手の在り様によって理解と言う一つの完成が違ってくるのと同じである。

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ちなみに昭和の時代には既に伝説となっていた輪島塗の上塗り名人「中村半次郎」は、椀の高台(椀の下側)を指で持って回転させた時、普通の職人は凡そ一回転半だが、これを2回転させる事が出来たと言われている。

本当に技術を高めれば、最後はヘラを持つ右手を動かさずに、左手で持っている器物を動かして仕上げることが出来るようになる。

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つまり言語で言うなら、相手の話を聞いているだけで自身の話をしていると同じ事、偶然が運命と重なった瞬間である・・・・。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)