「傲慢と卑屈」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2017/12/24 07:39

石川県立輪島高等学校創立90年の記念講演に招かれたドイツの若き哲学者は、閉ざされた所に有る者は傲慢と卑屈を兼ね備える事を指摘した。

またやはりアムステルダムの通信社に在籍した私の友人は、今から20年も前に「この町は壊れ方が大切になる」と話していた。

これは輪島に限った事では無かったが、バブル経済が崩壊した日本経済の、その影響の最先端はおそらく地方から始まっていたと言う事だったのだろう。

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輪島のように半島の先端に有る地域は一種閉ざされた地域であり、その中では生活スタイルの僅かな誤差でも大きな差異に感じる事になり、ここに経済崩壊が加わると、その僅かな差異が更に大きく感じる事になる。

特に地方の憧れは「外」に向けられたものが大きく、その中で生まれてくる合言葉が「都会への発信」と言うものであり、都会へのチャンネルこそがステータスのような時代を迎える事になるが、こうした地方の在り様は基本的に1000年前から同じである。

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平家伝説にしても、その当時で有れば重罪人の島流しの処分が為された人物であり、能登ではこうしてその第一線から追放された者であっても価値が有ったし、都への憧れだった。

実際には全ての力を失った平家だったが、それでも能登の人に取っては都の権威、憧れだった訳である。

そしてこの流れは今に至っても変わっていない。

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本質的に地方に流れてくる者は「負け犬」なのだが、その負け犬でも地方にとっては都会へのチャンスに見え、こうした地方の在り様を利用して負け犬が程ほどの成功を収めると言う図式が出てくる。

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またこうした傾向に引っ張られ、やはり都会へ憧れる地方はどんな者でも都会から来たと言うだけでそこへ集まり、そのやり方を踏襲するようになっていくが、都会への発信は元々輪島塗の販売形態がそれを内包していて、しかも長い歴史的実績を持っているにも関わらず、これを忘れる。

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その裏返しが地方が大好きな「特産品」であり、これなどはまさに傲慢と卑屈の産物と言え、更に田舎に来るほど書家、陶芸家、絵本作家に漆芸家と言う具合で「家」が付く者が多くなるが、これが成立しているのは田舎だからと言う事になる。

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私はもう40年輪島塗の世界に有るが、この間に感じる事は、少なくとも輪島塗が一つの職業、仕事から何やらイベントになってしまった、宣伝こそが全てで内容が失われてしまった気がして、地方が虚しく見える事かも知れない。


文責 浅 田  正 (詳細は本サイトABOUT記載概要を参照)