2018/01/07 05:35

人間の考え方として、何かの技術や文化に流れを付けて考える事は容易だが、近似DNA を持つ生物の間では同じ時期に同じ技術や文化が全く互換性のないまま発生する、「逆べき発生」の可能性を排除してはならないのかも知れない。

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漆塗り技術などはどうしても中国にその起源を想定したくなるが、確かに現在の漆芸技術の大半は中国、朝鮮半島渡来のものと考えて良い。

だが中国最古の漆器は今から6200年前のものであり、これに対して日本では今から9000年前には北海道で、それより古く12600年前には現在の福井県で漆器が生産されていた形跡が発掘されており、これらに鑑みるなら日本の漆器こそが漆器のルーツである可能性も排除できない。

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だがその一方、確かにこうして見るなら日本に措ける漆器の歴史は一貫性が有る様に見えるが、日本の文化が縄文時代と弥生時代で完全に分断している現実は、漆塗り技術や文化に関しても同じ傾向を持っていて、すなわち現在日本で使われる「塗師」と言う制度や概念は縄文時代、或いはそれ以前に存在していた漆塗り技術や概念の流れを汲んでいない。

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弥生文化は日本古来の宗教観が持つ平面的展開を高さに変遷させたように、朝鮮半島渡来文化は漆塗り技術も変遷させている。

この朝鮮半島渡来の漆芸技術の根本が日本から中国大陸へ伝播したものの逆変遷か、或いは中国独自の発展技術なのかは不明だが、縄文後期から弥生前期の時点で、それまでの日本の漆芸技術や文化は失われ、そこに現在まで続く朝鮮半島渡来漆芸技術、渡来文化が花開き、今に至っていると考えるのが妥当である。

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縄文期の漆器産品は装飾品や酒器と推定される物が多いが、弥生期にはこれが失われ、武具やそれに関係した物が多くなる。

その後古墳時代や律令国家になった日本の姿は、それまでに存在していたローカル文化が中国大陸と言うグローバルによって駆逐を受け、そのグローバルの中で僅かに影を残す事になったと推定される。

よって日本漆芸は間違いなく世界最古の歴史を有しているが、現在に残っている概念は朝鮮半島渡来の漆文化で有る事を否定する根拠を持たない。

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塗師の「師」の日本に措ける文字起源は「工」に有り、この「工」は血縁関係の職業集団を意味していて、鉄の生産に伴い伝播した中国の金属生産組織に由来している。

律令国家に出てくる「部」を形成する前段階の組織と言え、これが10世紀前後にはその仕事に携わる者を「師」として来た経緯が有り、その代表的なものが「仏師」などの表現であり、やはり脱乾漆技法などの伝来に鑑みるなら、塗師の起源はこうした仏像製作の中で発生してきた概念で有ると考えるのが妥当かと思う。

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そしてこうして発生してきた塗師が、権力の拡散である貴族社会から武家社会への変遷の中で次第に庶民化し、ここに商業的庶民塗師の家内制手工業が発展した時、これらを統率して漆器を生産する組織が発生したが、これを「塗師屋」と言う。

従って「塗師」の起源は古くても1000年、これが「塗師屋」になればその歴史は比較的浅いものであり、江戸中期から昭和60年前後までの組織概念だったと言う事になろうか・・・。

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この事から輪島の塗師屋組織が職種分業制だったのは、それが塗師屋によって構成されたものではなく、塗師屋が職業分業制の上に組織を乗せて行ったと言う事である。

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最後に「脱乾漆」技法は主に仏像などを製作する時に用いた技法で、本来は木の芯に粘土を付けて型を作り、そこに漆を塗った布や糊で紙を重ねて貼って最後に漆を塗って仕上げる技法で、現代でも「脱乾漆」技法と表記した製品や作品が製作されているが、現代のそれは石膏AとBで型を取り、そこに布などを貼って仕上げている事から、基本的にこれは古典漆芸技術とは異なる、所謂西洋造形技術との融合、現代版ヘレニズム技法と言う事になろうか・・・・