「漆の抗菌作用」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/01/08 06:34

西暦1995年ごろから若年層の間に流行してきた潔癖主義は、細菌に対する過剰なまでの警戒感を社会的に蔓延させ、ここから「抗菌作用」を謳った商品が氾濫して来る事になるが、その傾向は現在でも衰えを見せず、本来生物は細菌の中で生存していると言う現実を省みる事無く、日本の社会は「抗菌道」を今も突き進んでいる。

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こうした中で輪島塗の世界でも2000年前後、漆器研究の第一人者と言われていた研究者から「漆にも抗菌作用がある」とされる発表が為され、折から売り上げが伸び悩んでいた輪島の漆器業者はこれを大歓迎し、以後輪島塗は抗菌作用の効能を謳う事になるが、2005年の段階で石川県工業試験場で試験が為された結果、漆の抗菌作用は認められなかった。

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漆器研究者の第一人者は漆器に付いてはアマチュアであり、単純に顕微鏡観察だけでその成分などを研究していたが、こうした事だけで研究者と名が付いてしまうほど漆の研究が為されていなかった現実は、素材の差を抗菌作用と錯誤させていたのである。

例えば豆腐と高野豆腐では成分が同じでも細菌の定着率、繁殖率は決定的な差となるが、では高野豆腐が菌を減衰させる効力を持っているのか、或いは菌の繁殖を防ぐのかと言えば、そうではない。

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これはその水分含有量に拠って菌の付着率や繁殖環境が異なる為で、高野豆腐自体に抗菌作用や滅菌作用が有るわけではないのである。

同じように漆器と「焼きしめ陶器」や「素焼き陶器」では、その表面抵抗率の差に拠って初めから漆器よりも陶器の方が菌の付着率が多く、これを比較してしまうと漆器に抗菌作用が有るように見えてしまったのである。

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それゆえ現在は輪島塗の世界でも抗菌作用の効能は主張されないが、ある種の希望的観測として、言い方を濁した表現で抗菌作用が謳われる場合が未だに後を絶たないのは、「水銀朱」の存在があるからで、水銀は確かに抗菌、滅菌作用が有り、輪島塗の朱色は「丹」(に)、つまり古くは水銀を使って朱色粉末を作っていた為、この水銀朱に拠る抗菌作用を想定した訳だが、例え水銀朱でも、既に水銀から朱色に変換され、それが漆に混じった状態では水銀の抗菌作用は失われている。

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また黒塗りでは、生漆から水分を飛ばす「黒目作業」の段階で混ぜられる黒の成分は水酸化鉄の粉末であり、これも漆に混ぜされた時点で抗菌作用など消失している為、例え伝統的な「本朱塗り」だったとしても抗菌作用を謳う事は適切ではない。

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むしろ古来から使われている「本朱」「水銀朱」の水銀が人体、主に子供に与える影響は少なくないと言う科学的研実証結果が出ている為、「本朱塗り」「水銀朱」を使った漆器は「食品衛生法」で使用が規制されていて、現在漆器に使われている朱色の大半は水銀以外の科学的精製に拠る合成朱色が使われているが、これも余りにも発色の綺麗な漆器は漆そのものが「科学合成漆」、発色剤が自動車の塗料に使われている発色剤と言うケースも存在する。

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自動車塗料の発色粉末は「食品衛生法」には抵触しないかも知れないが、それとて「安全」かと言えばそうは言い切れないものがある。

天然漆、安全な漆器を求めるなら、余りにもケバケバしい色の物は避け、電子レンジ対応の漆器は漆器と名が付いていても、それは合成塗料だと言う事である。

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ちなみに輪島では漆の種子を焼成したコーヒーや茶なども出ていて、一部ではこうした漆の嗜好品に発癌抑制効果を謳う者も過去には存在したが、漆の実の焼成粉末に発癌抑制効果が検証された事実は無く、同様に輪島塗で使う珪藻土の焼成粉末「輪島地の粉」でも過去、発癌抑制効果を主張した時代が在ったが、これも全く根拠は無く、逆に非水性研磨時に発生する粉末の吸引に拠る肺機能障害の恐れを考え無ければならない。

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著名な発癌抑制剤、「丸山ワクチン」ですら、未だに発癌抑制剤としての承認を受けられておらず、人類は未だに毎年インフルエンザの流行に悩まされている。

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この中で景気低迷、売り上げの減少と言う事情に拠って安易に発癌抑制や抗菌効果を主張する事の危険性を畏れ、自然や現実に正直である事をして、漆器の価値を高める努力が必要と言える。