2018/01/23 07:22

どんな塗料にも使用以前の液体の状態で起こる劣化と、それが塗布され乾燥した後から始まる2種の劣化が存在するが、漆に措ける塗布以前の劣化は乾燥と非乾燥の相反する劣化が有り、漆は乾燥硬化しても使えないが、逆にいつまで経っても乾燥しなくても使えない事になる。

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漆の乾燥は基本的に気温と湿度である事から、それを塗布する以前の漆、特に仕上げの上塗り漆の場合、湿度調節によって乾燥コントロールできるようになっているが、これが湿度の高い自然条件、梅雨時期などは人間がコントロールできる以上の湿度や温度が自然の気候によって加わる事になり、為に器物の塗布作業中にも乾燥は進み、仕上がってみれば表面と内部が乾燥誤差によって収縮する「縮み」を発生せしむる事になる。

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そこで考えられるのは梅雨時期でも乾燥しない漆の添加であり、ここで液体の状態で非乾燥方向に劣化の始まった漆が必要になってくる訳だが、こうした非乾燥方向の漆を「ほせず」と言う。

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漆の劣化は液体状態でも硬化後でも基本的には水分の消失によって起こる。

つまり経年劣化なのであり、水分が飛んでしまうごとに乾燥速度は遅くなり、調合後7年、10年クラスの上塗り漆は極めて乾燥速度が遅くなる。

梅雨時期の湿度70%以上、温度24度以上の条件では塗った漆が全て「縮み」を発生させるが、これを回避する方法が、非乾燥方向に劣化した「ほせず」の添加なのである。

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またこうした経年劣化が水分の消失で有る事を鑑みるなら、では非乾燥漆に水分を入れて攪拌すれば乾燥するのではないかと言う考え方も出てくるが、これは「熱力学第二法則」の原理によって成立し得ない。

つまりガスを使ってヤカンで湯を沸かしたとき、その沸かした湯から使ってしまったガスを再抽出できない事に同じである。

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そして漆の乾燥速度を遅らせるもう一つの方法は「塩分」の添加になる。

塩分添加は漆の乾燥能力を決定的に失わせるか、それに近い状態を引き起こすが、梅雨時期の気象条件は漆の乾燥能力が0・1%しかなくても、これを乾燥させる気象条件であり、為に著しく乾燥能力が削がれた漆でも「縮み」を起こさない適宜時間で乾燥する。

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ただ、塩分添加では塩の結晶を漆の中に入れて攪拌しても結晶は中々溶解しない。

それゆえ漆に措ける塩分添加は「醤油」が一般的であり、漆の中に醤油を入れて攪拌すれば非乾燥方向の漆、「ほせず」と同じ乾燥速度の漆を調合することが出来るが、これはあくまでも「乾燥速度」の遅延効果だけの話である。

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漆の中に醤油を入れて攪拌すると一挙に漆の中から細かい泡が発生し、それはあたかも苦しみもがく多くの人間のざわめきにも似た表情になり、やがてどこかでは何かが死んだように静かになってしまう。

漆が断末魔の叫びの後死んでしまったように見えるのであり、こうした漆で塗られた漆器の表面光沢はやはり何かが死んだような表面光沢になる。

ちょうど赤とんぼが死んでいても草に留まっていても、それが静止していれば見た目にはそう大きな違いはないが、何かが決定的に違うのと同じかも知れない・・・。

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余談だが昔の漁師は舟が時化(しけ)に遭い、「もうだめだ」と判断した時、醤油を飲んで海に飛び込んだと言われているが、これは塩分によって血圧を上げ、海水で奪われる体熱保護の効果が有るためだと伝えられている。