2018/02/12 07:12

私が輪島塗で独立したその日、最初に考えた事は「これで自由だ、いつでも好きな時に休めて、もう誰にも頭を下げずに済む」だった。

だがどうしてどうして・・・、現実にはどんどん時間が無くなり、休めるのは葬式でも出来た時くらいになり、元々中身も少ない軽い頭は、上がっている時を探すのが難しい事になってしまった。

自由とは究極の不自由のことかも知れないと思う今日である。

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経営者とは実に孤独なもので、それゆえ組織に在れば情報こそがその拠り所に成る事は塗師屋の親方も同じ事だが、自分や運営している組織に対する正確な評価や、その改善点などは容易に経営者の耳に入る事は無く、また経営者自身もどうしても自身に対する厳しい評価を嫌い、耳障りの良い言葉を求めてしまうものだ。

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輪島塗の塗師屋の組織はそれぞれの仕事で部屋が分かれているのが一般的で、下地、研ぎ、上塗りの部屋にはそれぞれ数人から大きいところでは数十人が一緒に仕事をしていて、このような閉じた空間で座って手仕事をしている環境では、たわいも無い会話こそが全てと言う感じになる。

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情痴、噂話、悪口などで盛り上がりながらコミュニケーションがはかられ、仕事をしているのだが、時々親方に対する悪口も出てくるのが普通で、たまたまそうした話が出ている時に階段を上がってくる親方がそれを聞かざるを得ない時も有って、当然これは面白くないが、親方ともなればそのような些細な事で一々怒っている訳にも行かない。

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またそうした自身の悪口の中には10に1つくらいには自分が一番気にしている事に関するものだったりもする。

従ってこの悪口の中には、自分や運営する塗師屋に対する職人達の正直な思いが含まれている訳で、孤独な立場の親方に取って最も必要とされる情報もまたこの中に有った訳である。

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優秀な塗師屋の親方はこうした職人達の悪口を制する事はしなかった。

階段を上がりながら自分の悪口が聞こえてきても、仕事場の戸を開けると、まるで聞こえていなかったかのように満面の笑顔で皆に挨拶をしたものだった。

経営者の悪口が言える環境こそを、善しとしていたのである。

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輪島塗の器で100年ほど経過した物の剥離層を見てみると、その大部分が補強布と上塗りの層で有り、一番厚く付いているはずの下地層が、ほんの僅かしか残っていないのには理由が有る。

一つは経年劣化で含有水分が無くなり萎縮した事、そしてもう一つは職人が付けた下地を研磨して成形した為に、下地の半分ほどが消失してしまうからだ。

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つまり輪島塗に限らずあらゆる漆器は、こうして消失してしまう部分が有ってその形が為されている。

形として残らず、見えない第4の層が有って漆器は出来ている訳で、職人達の痴話ばなしや悪口、そしてそれで盛り上がった笑顔が、形無きとも第4の層を作っているのである。