「ええじゃないか、ええじゃないか」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/02/21 08:44

1866年(慶応2年)この年、坂本竜馬の仲介で成立した薩長同盟は、一挙に討幕運動を加速させたが、この年の12月、討幕には反対だった孝明天皇が崩御、一部では討幕派の毒殺説も流れる中、翌年1867(慶応3年)には明治天皇が即位し、時代の流れは一挙に大政奉還、王政復古へと傾いていった。

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慶応2年は余り伝えられていないが、江戸時代全般で最も百姓一揆や打ちこわしが多かった年であり、特に大阪で起こった打ちこわしは、将軍が大阪にいる時に起こっていて、このことは幕府の第2次長州征伐に大きな影響を与えた。
そして翌年慶応3年、秋から冬にかけて畿内を中心に起こった「ええじゃないか」は全国的な運動となって倒壊寸前の幕府支配機構を麻痺させてしまったが、その背後には討幕派の影がちらつき、討幕派はこうした民衆の動きを助長していた形跡がある。

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「ええじゃないか」とは有名社寺の札が天から降ってきたと言う噂が広まり、群集が「ええじゃないか、ええじゃないか」とはやし立てながら狂乱する一種の社会現象で、みな仕事も生活も放り出して踊り続け、そのために治安は完全に崩壊した。
慶応3年の「ええじゃないか」はこの内最も規模が大きいが、その背景には混乱の極みにある国情と、それに引きずられる庶民生活の大きな不安、不満がやけっぱちと言う形を取って爆発したとも言える性格のものだった。

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しかしこの「ええじゃないか」実は似たような現象が慶応3年のこの時期だけでなく、江戸時代全般を通して数回起こっている。
この基本形態は「お蔭参り」と言うもので、やはり天からお札が降ってきたと言う噂をきっかけに、群集が仕事も生活も放り投げて踊りながら伊勢参りに行くというもので、その道中には宿泊や食物の供与があったりして、それを支援する者も多かったことが知られている。

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こうした「ええじゃないか」や「お蔭参り」は飢饉や政治的混乱期に、群集の打ちこわしが起こるのと前後して発生している。
元禄から享保年間への移行期、幕府や武家財政の困窮、農民社会への商業の進出などによって商人以外の武士や農民は多くの窮貧者を出した。
加えて幕府は財政再建策として天領などの年貢率を1割引き上げた結果、それまでは散発的だった百姓一揆も組織的になっていくのである。

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名君として名高い徳川吉宗だが、農業政策では失敗し、各地で一揆や打ちこわしが横行するのだが、もともと百姓一揆に対する幕府の姿勢はとても厳しく、首謀者は死罪、家族血縁、そこを代表する名主までもが咎めを受けることから、民衆の一部は形式的には幕府に逆らわず、しかし仕事や生活を放棄して伊勢参りに行くと言う、間接一揆として「お蔭参り」の行動を取ったのではないだろうか。

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それが証拠にこの享保年間から発生してくる飢饉、それに伴う打ちこわしに連動したように「お蔭参り」が突然発生してくる。
享保、天明、天保それぞれに飢饉が発生しているが、中でも天保のそれは想像を絶するものがあり、凶作による飢饉は半ば慢性化し、農村部では飢饉や疫病で人口を失うだけでなく、堕胎や殺児(間引き)などの産児制限、希望を失った村人の逐電や欠落(かけおち)などの流出、質奉公や身売りなどの人身売買などによっても人口を失い、その結果農村は荒廃し、更なる飢饉を誘発させていった。

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(天保4年)1833年は奥州一体が飢饉になり、その3年後(天保7年)には全国的な飢饉が発生、特に関東、奥羽の惨状は目を覆うものがあり、米などの物価は激しく上昇、それに対して幕府、各藩は買占めの禁止や備蓄政策、穀物の移動制限などを行ったが、悪徳商人達は果物や穀物の買占め、売り惜しみをして物価はさらに上がり、飢饉被害を拡大させたのである。

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この頃記録に残っているだけで、江戸では1日180人、上方(大阪)でも1日170人の餓死者がでていた。
民衆はこうした事態に完全に理性を失い、没落して農村から江戸に流入した無籍の貧民達が富裕な米屋、高利貸し、商家を襲い、米や借金の証文などを襲奪していった。

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一揆は段々と組織力を増していったが、後世ナチスが用いた密告の奨励などによって、幕府は一揆が大規模化、政治運動化する事は抑止していったが、基本的にはこうした一揆、打ちこわしの流れの果て、1833年の天保の大飢饉から34年後に大政奉還が成立していった。

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人間は極度の悲しみや絶望に出会うと笑うものだと言われている。

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それはもはや感情が麻痺し、意識がどこかへ飛んでしまうからだが、先が全く見えない幕末、飢饉で絶望しかないところで狂ったように踊りだし、「ええじゃないか、ええじゃないか」とやったら、みんなもうどうでもいいと思ったに違いない。
民衆がこうした壊れ方をしたときは、その国も同じような壊れ方をしているのだ。

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そして日本にはもう1つこの「ええじゃないか」や「お蔭参り」に似た風習がある。
神頼み、狂ったように踊る・・・、そうだ祭りだ。
「らっせらー、らっせらー」と踊るねぶた祭り、「踊るあほうに、見るあほう」の阿波踊り、みんな狂ったように踊る祭りで、たいがいの祭りはこうして我を忘れた部分、一種の狂気をはらんでいるものだ。

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日本人の根底にはこうした祭りに対する独特の感情がある。
それは苦しい時も、楽しい時もどこかで何か自分ではどうしようも無いものの力を信じ、それにすがる思い、即ち日本独特の宗教観がそこに横たわっているように思う。

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「ええじゃないか」はそうした日本人独特の宗教観がなせる、人々ができるたった一つの最後の行動だったのではないか、屍が路に転がり、乳飲み子が死んだ母親のそばで泣き叫び、荒れた形相の男達がたむろしている中、現実にあるのは絶望の中を「ええじゃないか、ええじゃないか」と老いも若きも男も女も踊り明かす。

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案外地球最後の日が来ても、人々はもしかしたら気力を失ってがっくりしていないのかも知れない。
意外にも「今日が地球最後の日だ、こんなめでたい事は無い」などと言いながら飲んで踊っているのかも知れない。

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もしそうだとしたら、人間は結構、偉大だと思う・・・。