2018/02/24 06:08

中国において紙が初めて作られたのは後漢時代(105年)、宦官の祭倫(さいりん)が作ったとされているが、その紙がヨーロッパに伝わったのはそれから600年後の事だった。


751年、中央アジア(西トルキスタン)のタラス川の戦いで、唐の軍隊がイスラム文化圏の大帝国であるサラセン帝国(アッバース朝)の軍に大敗した時、捕虜となってサマルカンドへ連れていかれた唐軍兵士の中に紙すき職工がいた。
アッバース朝ではサマルカンドに製紙工場を設けて紙を作らせ、やがてバクダードを始めイスラム世界の各地に製紙工場が建設されたが、このことはタラス川の戦いの時の捕虜の1人の記録(杜環・とかん)の「経行記」と、アッバース朝側双方の記録に残っている。


製紙法は12世紀頃スペインに伝わり、次いでヨーロッパ諸国へ輸入され、それまで使われていた羊皮紙を駆逐してしまい、この紙の使用によって始めて印刷技術が起ってくるのである。


一般に日本における印象で、文化や文明の高度な部分と言えば西欧にその姿を求めるところだが、8世紀から13世紀に中央アジアを支配したサラセン帝国の文化は世界最高水準のものであり、宗教的対立をしていたヨーロッパ諸国の文化、その技術はサラセン人をして「驚く程遅れた」ものだった。


またサラセン帝国の商人は広く東西へ渡って交易をし、それをして各地の文化を仲継する役割もしていたが、このことはヨーロッパに大きな影響を与え、ルネサンスを促進したと言う背景も持っている。
当時イタリア、サラセン両方の商人がともに東西に広がって活躍しているが、イスラム文化圏のこうした商業的センスについては、こちらも高い評価を与えるにふさわしいものだった。


学問の分野でもギリシャ哲学、インド・イランの影響を受けた数学、化学、天文物理、医学などが発達し、アラビアの学問はこうした諸外国の影響を受けて発展していたが、エジプトのカイロにある世界最古の大学、アズハル大学(927年)を始め多くの学院が作られ、セルジューク時代にはニザーム・アル・ムルクによってニザーミア学院(1065年)がバクダードに作られ、これらの大学にはヨーロッパから留学する者も多かった。
従ってこの頃のヨーロッパ古典学問は、こうしたイスラム文化圏からの逆輸入の形で、ヨーロッパへ伝播していったのである。


ちなみに日本へ紙の技術が伝えられたのは610年、バクダードは794年、エジプトへは900年、スペイン1180年、フランス1320年、イギリスには1494年に伝えられたとされているが、ドイツのグーデンベルクが印刷機を発明したのは15世紀のことになる。
これによると中国で開発された紙の技術が最も早く伝播されたのは日本と言うことになる・・・・。