「危うさの美」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/02/25 08:39

例えばパソコン画面の文字エディタで、文章の色を黒で表示している中に一部分だけ赤の文字表示を起こせば、そこは際立って見え、更にその赤い文字表示に規則性を持たせた配列をすれば、赤い文字は目立たなくなり全体に溶け込むが、この場面で赤の文字を多様し規則性が無いと、人間は文章を読む以前にストレスを感じる。

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昨今パソコンで表示できる文字色は多様化し大変華やかになったが、これを多用し目立たせようとすればするほど、その目立たせようとする部分は画面全体のストレスになって行き、文章の内容以前の問題で人には伝わらなくなっていく。

結果として一番人間が読み易い文字は黒か若しくは深い青の色で、特に目立たせたい箇所は文字の太さを少し太くする程度が一番安定した形となる。

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同じように物作りの場合でも主張しようとする事を全て詰め込もうとすると、そこには主張の分散が起こり、伝わるものは薄くなる。

「東山魁夷」(ひがしやま・かい)の目が光を中心にして、それを紙の中に写し取る時、闇や影を捉えるようになった事からも解るように、主張とは全体とか環境と言ったものと同義、光と闇は同じものなのである。

それゆえ漆器の意匠でも冒頭の文字色と同じように、煌びやかなもの、主張したいものをあれもこれもと入れ過ぎる、或いは自分の技術ばかりを主張しようとすると、そこに現れるものは「愚かさ」や「稚拙さ」になって行く。

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一方人間の存在と言うのは、その生存が始まった瞬間から「矛盾」であり、この意味に措いてキリスト教社会はギリシャ哲学の「ロゴス」を「理論」「言」と約したが、その本来は創造と同義の「破壊」だったと考えられ、一般化、普通、パターンである「ミュトス」との相対だった。

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従って人間には「安定」と「破壊」が同義で存在し、安定も破壊もそれが続く事を望まない部分が有り、これに鑑みるなら冒頭の文字色などが持つ「安定」は常に新しい「破壊」によって変遷して行き、やがてはその新しい「破壊」が「安定」となる事を繰り返す。

つまりは「安定」と言う概念が普遍性を持たない事を意味しているが、人間の創造にはどこかで限界も存在し、この非普遍性は必ずしも全くバラバラとはならない。

「周期普遍性」を持っているのである。

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ゆえ、これまでの価値観であれば文字は黒や青で、多色を使う場合は規則性が必要だったが、今この瞬間に生まれた者にとっては多色非規則性が「普通」となり、この「普通」に対する「破壊」が文字色の統一性や色配列の規則性で有り、現在は「非規則性」の時に有る。

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そしてこの宇宙に完全な「不規則性」は存在していない。

どんなに不規則なものでも、例え壊れて行くにしても、そこには一定の速度法則が存在していて、ここで完全な不規則性を求める事もまた「完全な美」を求めるに等しい。

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今「安定」に在る者、一定の年齢を得た者が持つ「安定」からすれば、「愚かさ」や「稚拙」に見えるものも、その中には未来に措ける「安定」が潜んでいるのであり、これが「希望」と言うものなのかも知れない。