「中庸」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/03/28 09:47

私は好んで輪島塗やその技術を「中庸」(ちゅうよう)と表現しているが、「中庸」とは物事の中間や妥協点を意味しているのではなく、「常」や「凡」を意図したもので、それは古典中国思想の「徳」の概念を基本にしたものだ。

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水は仕方なく上から下へ流れるのでは無く、あまねく森羅万象の理によって「普通」に流れているのであり、事に無理のない状態、何かに止まっておらずして常に自由に動ける形、その状況に応じて最も理想的なところへ自然に動いていく事を至上と考える為だ。

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素地形成に措ける接合でも米糊の強度は弱いが、その弱さを知っていれば一番長い接着期間を得られるものの、これを一般の民衆が全て認知する訳ではなく、漆器の熟達者ですら塗りに特化していればこれを認知するのは難しい。

それゆえ一定の強度と一定の接着期間、これは社会的な概念だが、漆を使ってあるとした場合一体どのくらいの期間それが崩壊しない事を社会が望むかによって、或いはどのくらい壊れた物までを許容できるかによって、漆器の強度は変化する。

僅か素地の接合にしても、こうして社会と一緒に動いているのである。

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漆器と言う伝統で有っても、それは常に社会や一般の他の物の環境によっていつも変化し、これで良いと言う物は存在しない。

「中庸」とはまさにそうした事を意味していて、例えば素地接合の場合、米糊では強度が弱く、シアノン系接着剤では強度は大きくともタイミングに弱いとしたら、これらの特性を程ほどに融合させた、漆と糊の組み合わせである「こく惣漆」がまさにその中庸と言うべきもので、漆の世界と中国古典思想の概念が同じように見えるのは、それが事の理だからである。

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だから何等古典思想を勉強する事は無くても、人間は仕事や普段の暮らしの中からその原理を学んでいるのであり、その意味では我々個人が抱える問題も、社会全体が抱える問題も、その答えは全て眼前に揃っていて、唯それが見えるか、或いは見えていてもそれが実行できるか否か、と言うことなのかも知れない。

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素地接合では木の断面を直接接合する事が望ましいが、近年はその利便性から「木工用ボンド」で木地接合が行われ、木工用ボンドの耐用年数は4年から6年であり、これを補強する為に漆と糊、それに焼成木粉(しょうせいもくふん)を調合した「こく惣漆」を、ボンド接合箇所に小刀で切り込みを入れ、中にねじ込む方式が一般的になっている。

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ちなみにこの接合箇所の切り込みに使われる小刀は、塗師小刀「丹波」ではなく、「切り出し小刀」と言う雑用小刀が用いられ、切込みも接合面の一方向面だけを切り込む方式と、接合面の両方を切り込む方式が有り、前者を「片彫り」、後者を「両彫り」と呼ぶ。

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その昔は素地製作と塗師が融合した形を持っていて、木地職は素地の部品が完成すると塗師屋へ連絡を入れ、そこで塗師屋から職人が来てこく惣漆で木地を接合し、木地製作者と塗り職が一つの部屋で共同作業によって素地を完成させたものだが、社会が個人的傾向を強めるに従ってこの形式は無くなって行った。

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社会に措ける人間関係の弱さはまた、漆器の強度の弱さとなる良い一例と言える。