2018/04/16 07:13

平安時代の貴重品として一番に挙げられるものは「絹」であり、これは粗食に耐えても着るものに金をかけた律令国家の伝統が花開いた結果だった。

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官僚制度と言う一種「閉じた社会」の中で個性を仕事に求めるなら、それは「乱」になるゆえ、彼等の個性や権勢は着衣や装身具に求められたが、こうした流れからそこで使われる「紙」にも当然拘りが求められ、また良い紙は貴重品でもあった。

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現代平安期の遺構などで発掘が行われると、そこから漆が塗られた紙の文書が出土する事が有るが、この解析は当初「文書保存」と言う見解を生んだものの、その現実は屏風や襖の文化を見れば、より正確な解析に繋がるように思える。

つまり漆が塗られた文書の重要性はその文書に在るのではなく、漆に有ると言う事になる。

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文書は記録以外のものはその情報が伝われば役割が終わり、ここでは必要の無い文書等が発生するが、これらは襖や屏風などの下張りに再利用された経緯が有り、同じように当時材料として貴重だった漆の、その漆を入れた容器の蓋として必要が無くなった文書が用いられたと言う事である。

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漆などの液体を保管する場合、四角い容器だと隅に残る部分が発生する為、その当初から円形かそれに近い筒状の容器が使われ、しかも漆は空気に触れると水分と温度で反応し硬化してしまう。

それゆえ表面に密着する形で紙を当てて、それに帯状の薄く削った割り竹を使って抑える方法が一般的だったが、この原理は今も同じ方法が採られている。

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勿論平安期以降、油紙や蝋紙なども開発され、今に至ってはサランラップが一般化しているが、一時期輪島市の人口一人当たりのサランラップの消費量が全国一になった時期が有ったのは、漆の蓋紙(ふたがみ)として、或いは下地漆の保存材料として使われたからで、これが何故サランラップだったかと言うなら、高分子ポリマーの特殊性によって、他の同じようなラップでは漆が硬化する為だった。

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サランラップだけが漆の硬化を遮断できた為だったが、平安期には勿論そんなものは無く、従って必要が無くなった文書を、やはり貴重品だった漆の蓋に使って、その上に水を張って漆の硬化、劣化を防いだのである。

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これが後世遺構などで見つかると、どうしても文書などの重要性に視点が集まってしまうが、貴重なものは貴重なもので保管するのが原則と言うものだったかも知れず、一見躯体の上から紙を貼り、その上から漆を塗る「一閑張り」とは相対を為すもののように思われるのだが、一閑張りの原初も中国で紙が普及し、そこで文書が紙によって保存されるようになった頃から発生してきた経緯を見るなら、基本的に同じ思想だったのかも知れない。

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そして現在紙を使った漆器製品は「一閑張り」(いっかんばり)「紙胎漆器」(したいしっき)「漆紙」(うるしがみ)が残存しているが、この中で紙に主体が求められる思想を持つものを「うるしがみ」と区別して(しつし)と言い、漢字で表現すれば「漆紙」となり、「うるしがみ」に同じだが、発音表記で「しっし」と区分され、これは一閑張りと平安期の漆蓋紙の中間概念に有る。

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古代メソポタミアの粘度石版には、恋人達がやり取りしたラブレターのような文書が残されている。

古代の社会は今の社会とは概念が違う。

我々が重要に考えるものが彼等に取って重要だったとは言い切れず、意外にも貴重な材料が平易に使われている場合が有る。

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何をして豊かと言うかは大変難しい・・・。