2018/04/22 06:07

今の時代で時間と言えば、それは数字や一定の事柄が経過することをさすが、では古代の人々の時間の感覚は現代と同じものだったのだろうか。

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例えば「日本書紀」、ここに「ニニギノミコト」が日向の地に天から降臨し、それから神武天皇が現れるまでに1792470年かかったとされているが、実はこの天孫降臨から神武天皇までの期間は、天皇在位としては僅か3代でしかない。

この計算で行けば1代の天皇の在位期間は平均60万年と言うことになるが、この感覚はいかがなものだろう。

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おそらく古代の人々にとって昔の年代、過去の年代はなどは、さほど重要ではなかったに違いない。

それ故深みや偉大さを増すためにこうした天文学的数字が出てきたのだろうが、こうした傾向は古い天皇ほど顕著に現れていて、そこに何かの法則を見出すとすれば、古くなれば古くなるほど時間の経過が早くなる、つまり100年前の1年は今の一月ぐらいの感覚でしかなかったようである。

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「日本書紀」はそれぞれの天皇の代を年、月、日、で記している。

がしかし、これらの日付は全て後世に記述されたもので、創作されたものに過ぎず、現実には伝承された話の正確な日時は全く不明なのである。

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またこれに対して「古事記」では過去の天皇の代ごとに、そこで起こった出来事を区分して並べているが、こちらは天皇ごとの年代が記されていない。

従ってこうした区分から見える時間の観念は、暦が存在しないことから「継体天皇の御世」(けいたいてんのう・の・みよ)や「応神天皇の御世」などとして表し、今で言う時代を示すような形だったのではないだろうか。

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日本に暦がもたらされるのは、推古天皇の御世、即ち7世紀初めの事であり、百済の僧「観勒」(かんろく)が日本に渡ってきたときに伝えられたもので、これによって日本にも正確な年月日、つまり紀年が普及するようになったのである。

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また古代の時間の観念を言葉で表すなら、それは必ずしも数字を重んじてはおらず、どちらかと言えば、その時間の質に重点が置かれていたのではないかと思われる。

日本の場合、中国から入ってきた十二支との関連により、時間の概念が形成されていて、そうした傾向は本家である中国よりも、より強く日本の時間概念に浸透したのではないか、そしてこうした傾向は時間を数字や長さとしてではなく、質や内容に求めて行ったのではないかと思える。

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だから例えるなら寅年は、寅年の出来事があらかじめ決まっていて、他の年には他の事が決まっているような感覚があった。

これは今でもそうだが、犬年には変事があるとか、丑年は平穏だとか、そうした現代にも残る、その十二支ごとの特徴に主体が求められ、経年数字には主体が置かれなかった背景が考えられている。

それ故12年ごとにめぐり来る寅年なら、同じ1年であっても他の子年や丑年とは全然違う1年になる、そうした考え方があって、奈良時代にはこうした十二支にちなんだ「寅麻呂」や「牛麻呂」と言った名前が流行するのである。

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更に日本の古代の人たちは過去の概念は持っていても、未来の概念を持っていなかった可能性が高い。

中国から「漢語」が入ってくる前の日本の言葉「やまと言葉」では、「むかし」「こしかた」「すぎにかた」「いにしえ」など多くの過去を表現する言葉は出てきても、かろうじて未来を表現しているだろうと思われる言葉は「ゆくさき」しかない。

しかもこの「ゆくさき」は大抵今と同じで「この恋のゆくさきは・・・」ぐらいのことでしか使われておらず、現代で言うところの生活上の未来や、政治、治安、経済などは全く概念していないのである。

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そして古代日本人の空間に対する考え方だが、日本人の世界観は平面的概念であり、水平な土地が果てしなく広がって、海は無限の広さを持ち、それはいつかの地点で空に続いていると考えられていたようである。

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古代日本の人々にとっては、自分達の住んでいる土地が「この世」であり、神や先祖の世界は海の彼方に存在するものと考えていたようで、古事記に出てくる話で、神武天皇の兄の「稲水命」(いなひのみこと)が、波の上を歩いて海の果ての母の国に帰って行った、などの記述を見ても、水平に広がる世界観が垣間見えるのである。

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またこうした海の彼方の世界、これを「常世国」(とこよのくに)と呼ぶことがあり、この場合の「世」は「よわい」、つまり年齢をさしていて、少し話は逸れるが日本の国歌である「君が代」、この「代」も同じ意味で、日本の国歌はもともと恋を歌った和歌であり、「あなたの命が、小さい石が大きな石になるまで育ち、苔が生えるまで続きますよう・・・」と言う意味だ。

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それ故「よ」は「米」の「よね」に通じるもので、ちなみに「ね」の方は「霊」を表していて、「よね」は命を守る霊とされてきた。

即ち「米」とは人の命を永らえる霊の意味を持っているのであり、そこから「常世」では人は年を取らず、穀物は年中豊かに実っていると言う考え方が生まれ、米の「よ」に絶えず恵まれている世界、「常世国」となっているのだ。

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そして古来日本では山の奥にも「神」の世界があると信じられてきた経緯があり、「奥山」は「みやま」と呼ばれ、もとは霊や精霊を「み」とも呼び、「かしこきみ」が縮小されて「かみ」になったと考えられている。

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こうした概念はしかし、先の常世国と同じで、どちらかと言うと死後の世界を概念していて、例えば美濃では「喪山」と言う死者の国が存在していたり、東北の恐山などもそうだが、死後の世界と神の世界が異なりながらも、重複している姿として概念されている特長を持っていた。

だが朝鮮から入って来た文化は、こうした日本の古い概念を一掃し、北アジア、チベットを源流とするの神々の概念、つまり神々は天上におわしますの「高天原神話」へと日本の神を変遷させて行ったのである。

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ちなみに私は日本の国歌に少なからず得体の知れない恐さを感じる時がある。

小さな石が大きな石に育つ、そんなことが概念として有ったのだろうか、ここから考えられることは、もともと矛盾した無理な状態まであなたの命が続きますように・・・、となるが、どこかで「後ろの正面」や「鶴と亀が滑った」と同じ雰囲気を感じてしまう。

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ただ、「かごめ、かごめ」の童謡は比較的歴史の浅い歌である・・・・。


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