「静かに走る馬」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/04/24 06:07

見渡す限り雲一つない晴天、見事な松林を颯爽と駆け抜ける白馬、その馬上にはこれまた凛々しい将軍様・・・ご存知テレビドラマ「暴れん坊将軍」のオープニングだが、徳川吉宗をモデルにしたこの時代劇、実はこの時代ではあり得なかったものが登場している・・・。

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いや殆どの時代劇、NHKの大河ドラマでさえ、よく考えてみれば不自然なことになっているのだが、それは何だと思うだろうか・・・。
ちょっとクビを傾げるかも知れないが、それは馬の「パッカ、パッカ・・・」と言うあの音だ。
今夜は馬が走るときの音「パッカ、パッカ・・・」の歴史について考えてみようか・・・。

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時は浦賀にペリー率いるアメリカ艦隊が押し寄せ、江戸幕府がその終焉を迎えようとしていた1856年、ここに老中堀田正睦(ほった・まさよし)に日米通商条約の締結を迫った、アメリカ総領事ハリス(T,Harris)が記した、同年11月23日の日記が残っている。

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「運動養生のために乗馬をしたいと思い、馬を注文していたのが届いた。それは元気の良い競争馬ではないが、私の目的はかなうものだった。値段は小判19枚、つまり26ドルである・・・この馬を牽く馬丁は1ヶ月一分銀7枚、つまり7ドル75セントである。馬は草鞋(わらじ)をはいている。この草鞋は約1時間の道のりしか耐えることはできない」・・・・とある。

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またイギリス人のロバート・フォーチュンの「江戸と北京」の文久三年(1863)の項目にはこう記されている。
「ハリス氏は日本における馬の蹄鉄(ていてつ)に関して面白いことを述べた・・・・ハリス氏が始めて江戸へ居住する為に赴いた時、彼の馬は普通よく見られるように鉄沓を付けていたが、この時まで日本人の馬は藁沓を付けているか、また沓はまったくついていなかった。ある日1人の役人がハリス氏のところに来て、彼の馬を貸してくれと頼み、その目的に付いてはどうか聞かないで欲しいと乞うた。この奇妙な頼みは機嫌よく承諾された」

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「そしてその馬は暫くの間連れ去られた後に、きちんと返された。それから2,3日後に馬を貸してもらった役人がアメリカの公使館へ来て、宰相が馬の沓を調べる為に馬を借りによこしたことをハリス氏に告げ、もう宰相の馬には同じような沓をつけさせたこと、そして他の役人の馬にも全部同じように沓をつけさせていることを語った」・・・と言うことだ。(ハリス日本滞在記より・坂田精一訳)

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ハリスの日記によれば、1856年当時、馬は草鞋をはいていて、それは約1時間も走れるか走れないかの代物だったと記してあるが、ロバート・フォーチュンの書籍の中には草鞋から馬蹄に変っていく様が詳細に記録されている・・・つまり少なくとも明治時代以前は、馬が走る時の音はパッカパッカではなく、パタパタ・・・かドスドス・・・と言う音だったのである。

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今日どのようなドラマ、映画を観ても時代劇の馬はパッカパッカと威勢の良い音を鳴らして走って行くが、本当はどうだったかと言うと、遠出をするときは馬用の草鞋を沢山持って出かけ、それを45分から1時間の間で交換しながら走っていたのであり、間違えても疾走するような真似をすれば、30分もせずに草鞋交換が待っていたのである。

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またその沓も今日見るような鉄製の立派な物ではなく、藁の沓だったし、それでもまだついていれば良いほうで、沓がない馬まであったのだ・・・・そしてそれは1860年頃、明治時代直前まで続いていた・・・日本における蹄鉄や鉄沓の歴史は比較的浅い・・・せいぜいが150年くらいだろう。つまり徳川吉宗がパッカパッカはあり得ないことだし、ましてや武田信玄や上杉謙信の時代なら言うに及ばずだ

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時代考証専門のスタッフをロールで流しながら、こうした在りようは少しどうかと思うが、誰かエキセントリックな監督が現れ、道を草鞋が切れないように静かに馬を走らせ、どしゃ降りの雨の中、その草鞋を交換するシーンなどを撮ったら・・・それはそれでシブイものになるのではないだろうか・・・。