「習熟と劣化」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/04/26 05:24

若い頃、女にモテたいが為にギターを練習した者も多い事とは思うが、多分に漏れず私もそのような不純な動機でギターを練習したものの、結局モテる事も無かったゆえギター練習も途中で投げ出してしまった。

しかしこの中途半端なギターが意外な事に役立った。

輪島塗の木ヘラや刷毛を使うとき、例えばヘラなら両側の左右によって「しなり」が異なり、これに素地の木目に対するヘラの角度調整が有り、更に器物に対して鋭角になるか鈍角に近付くかの角度が必要で、これを動かしながら調整していく為、利き手には微妙な指の力の入れ具合が必要になる。

またこうした利き手の動きに連動して、利き手ではない方の手が自由に後追いの動きをしなければ綺麗な仕上がりにはならない事から、左右の手はそれぞれが違う動きで連動する必要が出てくるが、人間の脳の伝達形式はパソコンの伝達システムと同じで、「0」か「1」のどちらかの選択が基本となる。

この事から通常特に目的の無い筋肉の動きは、動くか動かないか、それで無ければ左右の手は片方の手の動きに力学的な連動性、つまりは歩行運動や何かを掴もうとする動き、または寝ている状態から起きる動きを基本にした動きになり、これだと輪島塗のヘラや刷毛を扱うときに必要な三次元的角度調整や、これに連動した非利き手の動きは難しくなる。

それゆえ輪島塗の修行には、ともかく数をこなして体がリズムとして左右の手の動きを憶える、しいてはこれが自然な動きになるまでの練習が必要になり、これは実はギターやピアノ演奏の左右の手の動きや思想に近い。

3年から4年も毎日同じ事を繰り返し、そこから一人前になるまでには10年の歳月を要するとするなら、これだけも練習するなら、ピアノやギターの演奏でもある程度にはなっているはずである。

そして意外に思うかも知れないが、人間のこうした鍛錬による技術習得は、「脳」としてのある種の「劣化」を利用したものと言える。

繰り返し同じ動きをする事によって、それまでは特殊な動きだったものが普通の動きになるシステムで、これは精神の上でも社会学的にも同じことが言える。

ネジが有って、これを毎日しめたり戻したりしていると、やがてそのネジは甘くなって締まらなくなる、そのシステムに同じであり、こうして人間の運動は小さな輪から大きな輪へと広がって許容性を広げていくが、一方で人間の心もまた同じようにして広がって行く。

一回少しだけ悪い事をして、それが通ればまた同じことが繰り返され、やがてその初期には大きな抵抗感が有ったものが薄れ、次に更にマズイ事をやってしまい、それすらも麻痺していく。

まさに私たちの社会や、自分自身の心の甘えの仕組みに同じなので有り、ここで大切な事は基本に忠実である事と言え、その意味では社会や私たち自身の心も、技術もまた同じように危うい事なのである。