「チェスター・ニミッツ・3」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/04/28 05:14

1909年潜水艦「ブランジャー」艦長に就任したニミッツは、その後長い間潜水艦勤務が続くが、テキサス生まれの闘志と忍耐力を持った彼にとっては、こうした潜水艦勤務は決して肌に合わないと言うものではなかったに違いない。
一見して田舎を想起させる素朴な風貌、決して大声など出さないまじめタイプだが、その割には周囲に威圧感の無いニミッツは部下達からの信頼も厚く、そうしたニミッツのテキサス訛りを聞いていると、どんな非常時でもどこかで「心が静まった」と評するのは、彼の部下だった「レイモンド・スプルーアンス」大将である。
 
1912年3月のことだった。
ニミッツは潜水艦「スキップジャック」の艦長に就任していたが、その潜水艦が洋上訓練をしていた際「ウォルシュ」と言う二等機関兵が誤って海に転落、波にさらわれた事があった。
ウォルシュ二等兵は機関のカマたき専門で泳げない、ついでに海は大シケの状態でウォルシュ二等兵はアッと言う間におぼれていったが、この高波では誰も海に飛び込めず、ただ祈るしか無い状態となった。
  
もうだめかと思われたその時、後ろから兵隊達をかき分け、冷たい海に飛び込む男がいた。
チェスター・ニミッツだった。
艦長が二等兵の為に冷たい海に飛び込み、そして自身も溺れそうになりながらもウォルシュ二等兵を助け上げた。
この事件のことはその後全海軍に知れ渡ることとなり、二ミッツの部下思いは大きな感銘を与えたのだが、誰よりもニミッツに感動したのは「スキップジャック」乗組員の内の11名であり、彼等はそれまで出していた転属願いを全て取り下げたのである。
  
ニミッツの戦争の概念、勝利の概念はその経済性にある。
戦争では全ての敵陣を撃破し、それを入手しようと考えるが、これは戦力の分散になるだけで、必要の無い敵基地はそもそも攻める必要が無い。
その場に置いて敵が負けたと自覚できる基地を落とせばそれで勝利となる。
また敵の近くに自軍基地が無くても、敵が来るのを待てば良いだけのことであり、従って作戦は常に勝利か、最も自軍の損耗が少ない形を実施すれば、それが勝利とはならなくても勝利と同じ効果を持つ。
  
ニミッツは太平洋戦争中一貫してこの方針を貫くが、こうした有り様は日露戦争の日本海軍でも同じ思想があった。
すなわち全ロシアを征服しなくても、何をすればロシアに勝つことになるか、これを正確に読み取ったところに東郷平八郎や日本の為政者の勝利があり、こうした思想の反対側にあったものが太平洋戦争時の日本軍だったが、二ミッツはこうした日本軍でも評価すべきものは戦争終結後の回顧録で評価している。
  
その一人は日本海軍最後の連合艦隊司令長官となった「小沢治三郎」に対するものだが、チェスター・ニミッツは彼をこう評している。
「勝った指揮官は名将で、負けた指揮官は愚将だと言うのは、何も知らない者の評価に過ぎない。指揮官の成果はむしろ彼が持つ可能性にある。敗軍の将と言えども、彼に可能性が認められる限りは名将である。オザワ提督の場合、その記録は敗戦に次ぐ敗戦だが、彼はその敗北に中に恐るべき可能性をうかがわせている。恐らく彼の部下達は、彼の下で働く事を喜んだに違いない・・・」
 
晩年チェスター・ニミッツは一つだけ心残りがあると語っていた。
「東郷提督の後輩達を相手に日米艦隊決戦で戦って見たかった、自分が手本としたものを超えることができたのか、それを知りたかった・・・」
グァムで陸上から指揮するニミッツ、大砲を撃ち合うような日米艦隊決戦はついに訪れなかったが、もしそのようなことがあったなら、彼は必ず艦隊に直接乗り込んで指揮を振るったことだろう。
 
敗軍となった日本海軍、しかしそうした中でも評価すべき者はしっかり評価し、敬意を払った数少ないアメリカ軍人、チェスター・ニミッツ、あなたが求めたものと、私が求めているものは全く違うものかも知れない。
 
だがあなたはどう思われるだろうか・・・。
日本とアメリカの関係はこれで良かったのかどうか、これが命がけで祖国の為に戦って得るべき、それぞれの国家の有り様だったのでしょうか・・・。