2018/05/07 06:02

一般的に「バリ」と言う言葉は「不必要なもの」を指していて、例えばこれが機械金属加工業で有れば、加工した必要部分の外のはみ出した部分、つまり後には削り取られて廃棄される部分を指し、塗装業でも実際に必要な塗装面から外れて塗られてしまった部分を指し、これは言い変えれば「余分なもの」「邪魔なもの」「面倒なもの」と言うことになるが、もう一つ地方によっては「小便」を指す言葉でも有る。


例えば雄猫が自分の勢力範囲を示すために行う「マーカー」なども、地方では「猫が小便をかけて行った」とは言わず、「猫にバリをひっかけられた」と言う地域が有る。

この場合「バリ」と言う言葉は、前者の金属加工業や塗装業で使われる「バリ」よりも、更に積極性を持った「面倒臭さ」を表現していることになるが、その一方でダイレクトな状況から使われる「バリ」と言う言葉が有る。


輪島塗の世界では複数の弟子が塗師屋(ぬしや)と言う漆器製造会社、大体が家内制手工業の範囲だが、そこへ入門する事になり、ここでは年齢の別なく、先にに入門した弟子から順に立場上の優位性が認められていた。

従って能力、年齢を問わず、先に入門した弟子ほど弟子の中でも大きな権限を持っていて、この中での縦の関係は絶対であり、それは終生、例え職業を代わってしまったとしても適応される厳しいものだった。


また、輪島の塗師屋は鳳至(ふげし)地区と、河井(かわい)地区と言う、輪島川を挟んで分かれる地区のどちらにも存在していたが、輪島という地域自体が港に面した狭い地域が発祥になっている事から、住宅が密集していて広い邸宅や工場が作れない事情があった。

それゆえ特に漆器産業が華やかなりし頃、膨大な資産を形成した塗師屋の親方は邸宅や工場を拡大するおり、間口を横に拡大する事が難しかった事から、縦方向に拡大する傾向に有り、これが塗師屋独特の家の作り方である、縦長のうなぎ屋敷が多くなって行った所以ともなった。


権勢を誇る塗師屋ともなれば一つの細い通りの全てが自家と工場だった例もあり、そうした通りにはその塗師屋の「えめ名」、屋号がその通りの名前になっている場合もあった。

そしてこうした塗師屋の家の作りは、玄関が有って工場、その奥が親方の家と言う場合と、これが反対になっている場合が有ったが、いずれにせよここで2つのトイレを作る事ができず、大体どの家も長い屋敷の中央部分にトイレを作っていたものだった。

だがこれだと例えば外から来た余り親しくない客も、トイレを使うときその塗師屋の親方の家庭生活空間まで行って、用を足さねばならなくなる。


このことから自毛の生活空間を他人に見られたくない親方の事情と、奥まで行ってトイレを使う事に抵抗のある客の、両方の事情は玄関に簡易トイレを置く風習を生んだのであり、ここで簡易トイレと言えば聞こえは良いがその実態はただの木の桶であり、客や親方が工場などで話していて尿意をもよおした時は、玄関のこの桶で用を足す風習が定着してくるが、この簡易トイレはよほどの事情が無い限り女子供、弟子などが使うことは許されていなかった。


さてそこでだが、実際にこうした長屋形式の住宅で、玄関にも簡易トイレがあるのは便利な事ではある。

しかし問題はこれがただの桶と言う点だ。

当然この桶に小便がたまってくると誰かが棄てに行かねばならなくなり、一体誰がそれを棄ててくるかと言う問題が出てくるが、ここで登場してくるのが「バリ弟子」と言うものだ。


前述したように、こうした一軒の塗師屋と言う社会の中で最も地位が低いのは誰かと言うことだが、それは弟子であり、しかも後に入った弟子ほど地位が低い事から、普通、簡易トイレの小便を棄てに行く役割は一番下の弟子だった。

それゆえ輪島塗の世界では一番下の弟子を「バリ弟子」と言ったのである。


これはとても酷な事では有ったが、一番下の弟子は朝9時頃、それに工場が閉じられる午後6時前後、客が多ければ小便がたまった時点で輪島川までこれを棄てに行かねばならず、これが冬季ともなれば寒く、夏季は臭いがひどく、しかも余り多くためてしまうと重い事は勿論、しぶきが跳ね上がる事から、頻繁に様子を見てお置かねばならなかった。


更に輪島の徒弟制度の上下関係は絶対的なところが有った事から、弟子修業中は勿論、一人前になっても弟子兄弟が集まった席で、この一番下の弟子が何か偉そうな事でも言おうものなら、すぐに「何だとこのバリ弟子が・・・」と兄弟子から言われるのである。

塗師屋と言う言葉はその工場を経営する親方を指していたが、その一方で漆器産業以外の職業の人に取っては、漆器産業に携わる人全般を指す言葉でも有った。


塗師屋の道は職人の道と商いの道が有り、弟子はその両方を親方のところで学ぶのだが、こうして不利な中で理不尽な目に遭いながら修行した「バリ弟子」は、やはり技術よりもその仕組みに対する頑張りが強かったに違いない。


また、塗師屋の中でもこうした「バリ」の始末を弟子にやらせない所も有ったが、そうした塗師屋ではどうなっていたかと言うと、親方の妻、「おかみさん」がこれを始末していたのであり、こうした塗師屋のおかみの有り様によっても、「やんちゃくさい」(気性が雑な)弟子が育つ塗師屋と、温厚な弟子が多い塗師屋の区別が出来て行ったのである。