「葬式」・前編 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/05/12 05:34

こんなことを書くと不謹慎だが、私は幼い頃葬式が好きだった。いや私だけではない当時この付近に住んでいた子供達はおそらく葬式と言うと皆心躍ったに違いない。
そもそも小さい子供にとって、葬式、結婚式、祭りは同じものだった。
親戚や人が大勢集まり、ご馳走が食べられ、お菓子が貰える、こうした条件が満たされるものは内容が何だろうと区別がつかなかったのである。


だから家で大人達が、どこそこの爺さんが危ないらしいとか言う話を聞けば、悪ガキ共の間にはすぐに情報が広がって、不道徳だが皆心待ちにしていたものだ。
この背景には人の死に接する機会の多さ、人はどう言う過程で死んで行くかをつぶさに見ているか、いないかと言うことが関係している。


1970年代頃まで、私の村ではどのような人も病院で死ぬことなどまずなかった。
事故以外はみんな家で死んでいったのである。
ご飯を食べに来ることができず、食事を運ぶようになり、その食事も食べることが少なくなって話ができなくなる。
やがて寝たままになり、どんどん痩せて骨と皮だけになっていく、そして呼んでも返事をしなくなり全く動かず、ただ呼吸するだけになる。


この頃になると家族は家の掃除を始め、そしてついに呼吸が止まる。
こうしたプロセスを当時の子供はしっかり把握していたのである。

死は瞬間のように思うかも知れないが、それは呼吸が止まったと言う一つの段階に過ぎず、実際は緩やかな流れのようなものであり、それを漠然とでも理解している者にとっては、呼吸が止まるかなり前から死とそれに対する悲しみが始まっているのである。


施設や病院に入れてこうした死のプロセスに接することのない現代では死は突然やってくることになり、それに対して悲しみの感情を現さない者は何かひどく人間性を失ったかのように見えるが、葬式の時に始めて悲しくなる方がどこかで身内の死に対するあり様の幼さを感じさせる。
また死に対するあり様は同時に生に対するあり様でもある。


貧しい時代、貧しい地域にあるものは死に対面する機会が多く、死が現実以上の重みを持たないが、その現実は生の持つ意味が自身にとって絶対無比なものであることを体感させる。
しかし豊かな時代、豊かな地域にあるものは死に接する機会が少なく、為に死を大きく捉え、このことが生に対する過剰な期待となり、しいては怯えになっていく。
そこでは形なきものに形を見て、力なきものに力を感じ、その幻影に自身が支配され生は影が薄くなる。


更に時間を多く持つ者が死を単に知識やシュミレーションで知ることは、現実の生と死からの逃避にしかならず、こうした生と死に付いて深く考える者は必ず生きる気力を失う。
生と死は現実のみを把握し、そこを素通りできる者だけが、知識ではなく感覚として理解できるもので、何も考えない者ほど良く知ることができる。


1970年代頃まで葬式は基本的には祭りだった。
村のどこかで死人が出ると、各家々から人が集まり長老を中心にして葬儀の段取りが始まるが、料理担当、火葬担当など事細かに打ち合わせされ、現代社会でセレモニーホールがやってくれることを全て村の共同事業でやっていくのである。
死者と言うのはたまに生き返ることがあり、こうした場合のことを考えて1日か2日置いて火葬することになっているが、その間に来るお客、僧侶には料理や酒が振舞われ、久しぶりに集まった縁者の子供達にとっては盆、正月以上の大イベントだった。


死者は彼の子供、兄弟などによって体をアルコールで拭かれ白い死に装束を着せられ棺桶に入れられるが、この当時の棺桶は文字通りの桶で、死者は膝を抱えた形でこの桶に入れられ、桶の蓋に釘が打たれるのは出棺直前のことになる。
この時、死後硬直で死体が桶に入らない場合は足の骨を折って桶に入れたが、こうした事態になることを避ける為、死後間もない内に膝を抱えた状態にして帯などで結わえたり、膝を抱えた形で寝かせたりして桶に入れやすいようにしておくこともあった。


残酷なように思うかも知れないが、生と死のコントラストとはこうしたものであり、
このコントラストが曖昧な社会は生と死の区別も曖昧なり、自身の生も他人の生もないがしろにするか、反対に死を大きく捉え過ぎて亡者を背負いながら一生を送るかのどちらかになる。
葬儀の内容は今と余り変わらないが、供えられた盛篭などの菓子や果物は葬儀が終わり次第参列者にばら撒かれる。


節分の豆まきみたいなもので、こうした菓子などを参列者はわれ先に拾うのである。
全く関係ない近所の子供も拾っているのだが誰も咎める者はいない、そればかりか「おまえもこれを持っていけ」とくれたりするのだ。
現代の人がこれを見たら「なんとあさましい」と思うかも知れないが、死体の扱い同様、これも生と死と言う一連のコントラストであり、葬儀のもっとも重要な部分が、この辺にある。


そしてこうした儀式と同時に村の若い衆は薪を切って火葬の準備をするが、村の各地区はそれぞれに民家から離れた山のふもとに火葬場を持っていて、火葬用の薪を切る雑木山まであって、そこから切り出された薪は火葬場の窯に敷き詰められ、そこで死者が燃やされる。


葬儀では参列者、村人、親戚縁者、まかない、火葬の準備をした人達全員が何らか形で「ご膳でよばれる」(お膳の料理を食べる)が、精進料理とは言え、塗りの椀にご飯、吸い物、すいぜん、煮物、香物、胡麻あえ、酢の物に菓子椀まであり、饅頭などの詰め合わせから、「おかざり」と言う名目の別の菓子箱まで付いてくるのだが、これらを総称して「香典返し」と言った。
参列者はこうした「香典返し」を手に各家に帰り、近所に「おしょうばん」と言って香典返しの菓子を配ることになっていた。


近年葬式の香典返しはまことに質素になったし、夜伽(お通夜)の膳もセレモニーホール任せになったが、貧しい時代でも死者を弔う式にはここまでのことをしていた訳で、生命の値段が計り知れないほど高くなったと言われる現代日本だが、その言葉とは裏腹に何か薄く、寒いものを感じてしまう。


こうした傾向は結婚式でも同じことで、一昔前なら結婚式と言えば両手に抱えきれないほどの引き出物や菓子を手に帰ってきて、近所にまで配ったものだが、今では商品券とカタログ1冊のスマートさだ。
しかもこのカタログ、欲しい物が殆ど載ってなかったりする。


私は田舎生まれの水飲み百姓の出だから、やはり食べ切れなくてもたくさん菓子や料理が返ってくる式が好きかも知れない。

(後編へ続く)