「葬式」・後編 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/05/13 05:29


さて葬儀が終わってからだが、いよいよ棺桶の蓋に死者の長男か孫が釘を打って、棺桶は白木の輿(こし)にのせられるが、この輿は台座に棺桶をのせてその上から屋根付きの輿を被せる仕組みになっていて、全体的には白木だが部分的には赤や緑、白などの装飾があり、簡単な神輿(みこし)のようなものだ。


この輿を死者の縁者が神輿と同じように担ぎ、その後を参列者がぞろぞろと付いて行くのだが、棺桶は火葬場に付くと輿から外され窯に積まれた薪の上に乗せられる。


僧侶によって読経が唱えられ、皆最後の別れをするが、この窯は長方形の土塁を内側から四角く削り取ったようなもので、人が寝た状態で入れる土の箱のような形になっていて、1面には風通し穴があり、高さは90センチほど、この中に薪が縁の高さまで敷き詰められてその上に死者が入った棺桶が乗っているのだ。


むかし、この村でもお金持ちは輿も一緒に燃やしたと言われているが、私の知る範囲ではこの葬儀用輿は燃やされず複数回、壊れるまで共同使用されていた。
こうして最後の別れが終わると、殆どの参列者は帰ってしまうが、10人前後の縁者や希望者は火葬場に残り火の管理をする。
薪に火が付いて棺桶が燃え始める頃になると死者の体は手足が伸びた状態になろうとして棺桶を破り、その勢いで窯から落ちることがあるからで、また通常火葬は夕方から始まって朝方までかかるが、時々部分的に焼け残ることもあり、こうしたことがないよう夜通し見張るのである。


この火葬番は誰が残っても構わず、女、子供も特に制限されていないが、夕食と夜食の料理や酒が葬儀をした家から運ばれ、それを飲み食いしながら死者が燃えていくのを見ているのである。
こうした料理や酒を運ぶ時は、暗い山道を上がって行かなければならないので、3人から4人で運ぶことになるが、一人は明りを灯す役で、むかしは明りが提灯だった。


しかし火葬場とは言え間仕切りも何もない天井の高い10坪ほどの倉庫のような建物、対面する2方には広い出入り口はあるが、戸は付いておらず仮眠をとることもままならない状態、床は土間どころか土であり、外は深い山の中で、1晩中番をするのはかなり過酷だったことから、料理の運び役が火葬番の交代要員を兼ねているときもあった。


話は少しずれるが、私は村の長老に何で火葬場には戸がないのか聞いたことがあって、長老曰く、この火葬場の下の道は山へ上がる人が必ず通ることから、戸が立っていれば中が見えない分、余計恐くなるからだと言われたが、他の各地区の火葬場もやはり戸が立っていなかったことを考えると、何かまじない的な意味もあったのかも知れない。


こうして朝までに死者は骨だけになり、縁者がそれを拾って葬儀は概ね終わるが、これから後も読経があったり、後片付けがあったりで、葬式があると村人は3日仕事にならない為、短い期間で多数の死者が出たときは神主にお祓いしてもらうこともあった。


怪談の時期には少し早いが、私は7歳頃、この火葬場で恐い目に会ったことがある。
私の両親はこの頃炭焼き(炭を作ること)の仕事をしていて、山で窯に火が入ると家に帰ってこられないため、夕飯や朝飯を家から山まで運ばなければならないことが時々あった。


その日も祖母が作った夕飯の弁当を持って山へ向った私は、両親の仕事を見ていて帰りが遅くなり、くだんの火葬場近くにさしかかった頃には既に周囲が薄暗くなっていた。
何度見慣れていても火葬場と言うのは感じの悪いもので、近くには溜池まであってそれらしい雰囲気を醸し出していた。


火葬場の少し手前にさしかかった時だった、突然「おーい」と言う声が聞こえ、私は歩みを止めた。
耳をすませてみる、するともう1度「おーい」と言う声が聞こえ、それは間違いなく火葬場から聞こえているのだった。
私はもうだめだと思い、全力疾走で山道を駆け下りたが、その背後からはまだ「おーい、おーい」と言う声が追ってきた。
ひたすら走って家へ帰り着いた私は、その晩「今に地獄の鬼が火葬場から迎えに来る。ああ、もう来る」と怯えながら一睡もできなかった。


やがて朝になって学校へ行く時間になったので恐る恐る外へ出た私に、声をかけたのは近所の爺さんだった。
この爺さん時々子供をからかったり逆にからかわれたりの、なかなかひょうきんな爺さんで、子供にはある種の人気があった人だったが、この人が私に「きのう、お前に餅をやろうと呼んだのに、なぜ逃げたんだ」と言うのである。


この瞬間、私を追いかけていた火葬場から来る地獄の鬼は木っ端微塵に砕け散った。
話はこうだ、この爺さんは火葬場の近くで炭焼きをしていたのだが、昼飯や夕飯を火葬場の窯で火を起して作っているような豪快な人で、その日も夕方腹が減ったから火葬場で法事に貰った餅を焼いて食べようとしていたところへ、私が通りかかるのが見えた。
「なかなか感心な奴だ、餅でも一つやろう」と声をかけたが、火葬場からお呼び出しがかかったと思った私は全力疾走で逃げるので、何度も何度も呼んだが私は更に早やく走って逃げた、子供の割りには変わった奴だと思ったと言うのだ。


今では笑い話だが、当時私は真剣に自分はこれで終わるんだと思った。
それにしても人を焼く火葬場の窯で餅を焼いて食べるこの爺さんの神経は大したものであり、こうして今の年齢になってやっとあの爺さん一体どう言う生き方をしてきたんだろうと考えられるようになった。


爺さんが死んだのはこのことがあった4、5年後くらいだっただろうか、中学生になっていた私は葬式で菓子を拾うことが恥ずかしくなっていた。