「拒否され得べき情報」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/05/15 05:18

殺人事件に措ける死体遺棄場所、死体を隠した場所や凶器の投棄位置、逃走経路など、その犯行の当事者か若しくは当事者と事情を共有できる者でなければ知り得ない情報を知っている者は、犯行を犯した当事者かそれに順ずる者としてまず容疑がかけられる。


これらの情報は発生した犯行の最も重要な部分であり、尚且つその当事者か、犯行が行われた時間に犯行現場にいた者以外にそれを知る者が存在し得ない事から、警察の初期捜査の段階では物的証拠以上の証拠能力を有している。


そしてこのような知っていると自身の大きなリスクに繋がる情報の事を「管理対象情報」と言い、自身が厳しく管理しないと、その情報を認知しているだけで将来重大な危機に見舞われる為、事の次第が殺人事件のような重大なケースでなくても、自分がその情報を管理できる自信が無い場合、該当情報はそもそも認知する事を拒否する必要が出てくる。

これを「認知拒否対象情報」と言う。


認知拒否対象情報は基本的に社会や政治的混乱、治安の悪化によって増加してくるが、近年個人同士の通信がインターネットによってランダムに平易になっている社会では、政治的混乱や治安の悪化状況以上に急激に知っていると不利益を被る情報が増大して来ている。


オレオレ詐欺、投資関連詐欺、結婚詐欺にデート商法、不動産の故意に不利益を与える取り引き、インサイダー取引に措ける他社マイナー情報など、その当場は一見大きな利益やチャンスに見える情報が、後に大きな禍をもたらすケースは全てこの「認知拒否対象情報」に相当するが、それ以上に気を付けなければならない情報は個人のプライベート情報となっている。


ここまで毎日女が殺され、夫が妻と愛人によって殺される、或いはストーカーによって殺害される事件が頻発している社会ともなると、下手に異性の連絡先などを知っているだけで、その対象者に悪意が無く偶然殺されたとしても、関係者として事情を聴取されるぐらいの事が発生する確率は高くなる。


日頃から良いなと思っていた受け付けの女性にやっと携帯の電話番号を教えて貰い、それで初めて電話したまでは良かったが、その翌日同女性が都内のホテルで殺害された場合、たった一度前日に電話しただけで、着信履歴から捜査段階の初期には最重要参考人になる可能性があり、それで無くてもこうした無差別殺人が横行する世の中に有っては、例え捜査の結果疑いが晴れたとしても、どうして個人的な連絡先を知っているのかと言う事実の発覚に伴う民事上、つまりは夫婦間ならば不貞の嫌疑が発生する可能性が有る。


この意味で言えば例えば既婚男性に取っては若い、或いはそうでは無い年齢を問わず関係の無い女の情報は常にリスクと背中合わせと言う事になり、これは既婚女性が夫以外の男性の情報を所有しているケースも同じである。


それゆえここでは異性を対象にしたが、世の中がおかしくなってきていて、その中で心を病んだ者が多くなっている現実は、基本的には自身がどうしても必要とする情報以外の個人情報は、男女問わず所有しない注意が必要になってくる。

これが「情報開示拒否」と言うリスクに対する先守防衛措置となる。


つまり今後関係がなさそうな人の情報、特に電話番号や住所などは、例え相手が教えると言ってもこれを拒否するセキュリティが必要な時代なのであり、この他にも明確に対象者そのものがリスクを抱えている場合や、男性に取っての女性、女性に取っての男性の連絡先の認知は勤務先を限度に留めておく注意力が求められる。


情報の共有はリスクの共有でも有り、この点では明日自身がリスクに遭遇した場合、自身の情報を知る者にはその情報の重要性に比例した嫌疑がかかり、こうした病んだ社会の中に有ってはいつ自分もリスクに遭遇するか、また自身が情報を共有している者がリスクに遭遇するか予想が付かず、その確率は年々増加している。


そしてこうした意味からもう一歩発展した考え方をするなら、現代社会のように明日歩いていて通り魔に殺される可能性の完全否定が出来ない社会に措いては、溢れる情報の80%が「認知拒否対象情報」か、それに準ずる情報になり、相手が情報を開示しようとすればするほどその情報は「情報開示拒否」事案の可能性が高まるのである。


多分古代にもこうした事を考えた人はいたのだろう。

「君子危うきに近寄らず」とはまさにこうした事を言い、現代社会ではもっぱら「君子、危うき情報に近付かず」と言う事になろうか・・・。


情報や知識がリスクになるかリターンになるかの分岐点は個人の事情によって分岐する。

従って個人が色んな事情を抱えている場合の情報は大部分がリスクになって行き、元々リターンの情報は数が少ない事から、リターン情報の中に在る者はリスク情報には近付かず、リターン情報と経済、権力構造は一致する為、ここに情報を巡っても階層社会が出現するが、こうした構造は基本的に最も初期の政治形態である「原始共産主義」「村社会」から始まって同じである。


所得税で国家が運営されている状態、言わば生産で国家が運営されている状態では情報や知識はリターンになるが、日本のように既に計画経済型社会、マイナスを補填する為の運営になっている国家では殆どの個人が事情を抱える事になり、ゆえに情報や知識がリスクの中を彷徨う事になる。


悲しい事だが大部分の情報がリスクか、結果リスクにしかならず、積極的に開示される情報は最もリスクが高い情報と言えるのである。

積極的に開示される情報は開示する側に利が存在するから開示され、こちらに利が発生する情報は常にこちら側には閉ざされているのが正しい姿なのである。