2018/05/19 05:02

今は輪島塗でも殆ど製作される事は無くなったが、「雪斎」(せっさい)と形式のお膳が存在した。


これは内側の隅が縁となだらかに繋がり、外側の縁も4分の1円の外周状のお膳で、その昔は神道の儀式に使われた「折敷」(おりしき)を簡略化、日常生活に適合させたもので、通常は2枚の足が付き、一頃は旅館や料亭で多く見られた日本の一つの形と呼べるお膳である。


折敷は1尺2寸(36cm)、若しくは1尺(30cm)と言った板に1寸(3cm)程の縁を付け、更にこの形で4つの角をやはり1寸(3cm)落とした準定型8角形のお膳だが、戦国時代、駿河の今川義元の軍師として活躍した駿河臨済寺の僧、(大原雪斎)(おおはら・せっさい・1496年ー1555年)が存命中に既に形としての完成の領域に有り、それが神社などに見られる「三方」(さんぼう)などだ。


大原雪斎はこの神道で完成の領域に有った「折敷」の角を全て丸くし、尚且つ「三方」などで見られる複雑な角が多用された高台(足)を更に簡略化して、現代まで使われ続ける雪斎型お膳を開発したが、このコンセプトは「取り回しの良さ」、ある種の合理精神であり、隅も角も丸くして形を簡略化したおかげで随分と扱いが楽になり、その後爆発的にこの形が汎用されるようになる。


以前他の記事でもこの事は書いた記憶が有るが、鋭利な角はいずれ欠ける事になり、すなわち角を落とすと言う作業はその物の未来の形と言える事に鑑みるなら、雪斎のように隅を丸く埋め、角を落とした形はいずれ壊れて行った形の先取りと言えるもので、こうした形に関する思想の起源を社会や自然に求めるか、或いは仏教の持つ死生観に求めるかは難しい所で、これはもしかしたら同じ事なのかも知れない。


自然にいつか磨り減った形は、有る意味最も自然に適合し使い易い形と言え、大原雪斎は禅の境地からこの型に辿り付いている事になる。

だが西洋建築が一般化した現代の日本家屋は畳の部屋が少なくなり、立ったまま事が為される形式になってきた事から、また食生活の多様性によって地面から距離が離れた空間で食を為す形式になり、この雪斎型お膳は平成に入って急激に衰退し、現在では殆ど生産されていない。


勿論以前に大量に市場に出ている事から、それが使われる場面は今でも存在するかも知れないが、酒が日本酒からビール、ワインや発泡酒と言った具合に嗜好的変化を遂げた今、今後いつかの時点では雪斎型お膳は時代劇ドラマでしか見る事が出来ない日が訪れる可能性は必至かと思われる。


そしてこうして折敷と言う形の完成から雪斎と言う形の究極が生まれたが、現代社会の飽和性は雪斎が持つ未来の形をまた複雑な方向へと向かわせている。

社会の閉塞性や個人が抱える闇の深さは社会全体の不安定を招き、この事が死生観に通じる形にまた角を加え、鋭利な隅を加えようとしている傾向が有る。


人間が描く未来の形とは現在の在り様から推し量られる傾向の極端な部分であり、これは現実や物の形の未来ではない。


人間の未来と現実の未来は常に相反するもので有り、神道で完成された人間の完成形が仏教に拠って導かれた未来の完成形に推移し、今また人間精神の形に戻ろうとしている。


人の世は一周して、闇に向かっているかも知れない。