「漆 桶」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/05/23 05:22

漆を保管、或いは移動させる為に用いる容器は古来から円形か楕円の物が多かったが、何故四角い容器が用いられなかったかと言うと、漆の自然棄却率が考えられた為である。


漆に限らずあらゆる物は、生産過程や精製過程で必ず不純物として元に存在した質量から一定の質量を失う。

漆の場合は容器に入れると、それに付着した分と、隅が有ればその隅に比例して自然棄却率が高くなる。

簡単に言えば円形かそれに近い形状が四角よりも内側の総表面積が小さく、なおかつ四角ならば底板の4面に加え、立ち上がりの4つの隅に拠っても漆が気づかない間に棄却されてしまい、漆は木ヘラで扱うのが一番効率が良く、この木ヘラは円形に対する取り回しが実に容易でもある。


この為に漆を入れる容器は円形か楕円形が用いられ、材質も陶器などだと重い事は勿論、割れた場合は中の漆が瞬時にして失われる事になる為、木製品の小さな桶、または「曲げわっぱ」などを用いた訳である。

今でも中国から輸入される漆は、原液が5貫匁(ごかんもんめ・約18・75kg)で取引される事から、直径50cmくらいの重い木の桶、日本産だと昭和60年代までは小判型の桶に入れられていたものである。


そしてこれが精製され、一般的な塗師屋や職人が使う時には、2貫匁や1貫匁の単位になり、円形桶に入れられて販売されていた為、こうした桶は何度も再利用されていた。

漆桶を持って行って、その中に漆を入れてもらう形式が一般的だったのである。


この漆桶が劇的変化を始めたのは太平洋戦争終結後の事であり、昭和30年代には合板の曲げわっぱ形式の桶が登場し、輪島でも昭和50年代までは、こうした合板の桶が利用されていたが、この段階までは依然として桶は再利用される形式が残されていた。


しかし、昭和50年代も後半になるとプラスチック製の円形漆桶が登場し、これに拠って漆桶の再利用、循環使用の歴史は消失する。

漆桶は使い捨ての時代に入った訳で、丁度それまで自宅に有るボールに水を入れて豆腐屋さんから豆腐を買っていたものが、スーパーで1個々々がプラスティック容器に入れられ、販売される形に変化したのと同じような変化になったのである。


またこれからほどなく、内部に防水加工がされた紙管(しかん・紙の管)を切って、それに漆を入れる紙の桶が登場し、現在は漆桶需要の半分がこの紙の桶になっている。

プラスティックよりは棄てる事が容易、或いは燃やして処分する事が容易な為である。


妙なものだが、人間同士のコミュニケーションが価値を持った時代は棄てるものが少なく、人間関係が煩わしいと思うようになると、どうしても容器は捨てるようになって行くものらしい。

してみると個人主義や自由と言うものはゴミを増やすものなかも知れない。


ちなみに中国から輸入される5貫匁桶に荒編み麻布を貼って、それに漆を塗ったのは輪島市河井町の私と同郷出身の漆器店と夏未夕漆綾であり、輸入時に入れられてくる中国産漆の木の桶の大量処分に窮した漆販売業者の事情を知った漆器店経営者が、私に何か方法が無いかと相談、雪囲い用の麻布を5貫目桶に漆と糊半々の分量で調合した接着漆で貼り、そこに砥の粉100、漆80の分量の「サビ漆」で目とめした下地を行い、河井町の漆器店が主体となって上塗と販売を担当した。

1989年の事である。


その後この商品は爆発的なヒットとなるが、同時に他漆器店や他産地でも同様の製品が作られるようになり、ここで当初の目的である桶の処分方法が確立した形となった。

やがて当初処分品だった桶は市場の需要に追い付かなくなり、桶に値段が付くようになり、製品は日本全国で生産され価格も上がって行き、現在は漆材料の高騰に拠って生産されたものが価格に対するクォリティに追い付かない為、夏未夕漆綾では生産を中止している。


同様にやはり大量に捨てられる紙の桶の再利用も考えられたのだが、これにも荒編み麻布を貼って、透き漆と朱色のぼかし塗をした加工製品を夏未夕漆綾で開発した。

こちらも一時的なヒット商品となったが、仕上がり具合がとても紙の桶とは想像できないものだった為、木製品と錯誤し、ワインクーラーなどに使用してアイスピックで突いてしまう事例が続出し、生産は1年で終了した経緯がある・・・・。


若気の至りだった・・・・(笑)