2018/05/26 05:31

フランス語でconvivialite(コンヴィヴィアリテ)と言う言葉があったが、この言葉の意味するところは「快適性を共有する」と言う意味があった。
そしてこのconvivialiteの語源はconvive(コンヴィーヴ)つまり「会食者」から来ていて、従ってconvivialiteは造語なのだが、その歴史的背景を考えるに、ヨーロッパ封建社会に措ける会議のあり方で、いかに会食と言うものが重要視されてきたかが、こうした言葉の残り方にも見て取れる。


convivialite、狭い意味で捉えるならこの言葉は、みなで楽しく食事することもそうだろう、しかし広義で考えるなら、これは文化と言う言葉に繋がるもので、実はヨーロッパ享楽主義をこれほど端的に現してる言葉は無いのではないかと思う。
つまりこれはどう言うことかと言うと、ヨーロッパ封建社会が当初の勢いを失って崩壊していく過程には、本来主体となる会議はそっちのけで「会食」が主体になっていたと言うことだ。


また中世以降の歴史を見ても、ヨーロッパで発生した人文主義は、深く人間と言うものを考えていく中で、「生きることを謳歌しよう」と言う精神が発生してきて、これはメディチ家を見てもそうだが、非常に享楽的、かつ退廃的な思想となっていたが、こうした傾向は、いずれも没落が近いとにきに起こる、一種の現実逃避であるようにも見える。


ヨーロッパでも日本でもそうだが、いつの時代もその経済が活性しているとは限らない、むしろ悪い時期が長くて、その合間に豊かな時期があると言うのが正しいだろう。
こうした意味から考えられることは、少なくとも食の文化はその国家が豊かなときには発展せず、貧しい時期に発展していくと言うことだ。


例えば日本、日本に措ける歴史的高度経済成長時代は、15世紀後半から18世紀初頭であり、これ以後はそれまでの期間に田畑が3倍に増加し、人口も増大していったことから比べると、田畑の増加率は僅か2・7%、人口にいたっては停滞と言う事態であり、農村では飢饉が発生し、その度に子供が殺されていく状況で、食文化だけは異常に進歩していくのである。


日本が世界に誇る「刺身」「てんぷら」「寿司」はみなこうした時代に庶民へと普及して行った。
また歌舞伎や落語などの文芸も実はこうした時代に完成していて、これは洋の東西を問わず、時代を問わず同じ傾向にある。
フランスでconvivialiteと言う言葉が発生してくる1980年、この時期はフランスのみならず、世界経済が沈滞していた時期であり、その後日本は数年後にバブル経済へと突入していくが、ヨーロッパ諸国はまだまだ長いトンネルの入口だった訳で、そうした中で明日に希望を持てない庶民感情は、1日1日を大切にしようと言う思いになっていく。


すなわち、経済活動で忙しい時は食だ文化だと脳天気なことを言っていられないが、仕事が無く時間が出来てくると、少しはそうした思いも出てくる、また生活が苦しく大方の夢が実現しないとなれば、実現できる範囲で夢を最大限に広げようとも考えるだろう。
こうした思いは例えば、せめて食べるものくらいにはこだわりたい、これだけ働いているのだから、年に1度はディズニーランドでも行こう・・・と言う風なことに繋がっていく。


だがこれはある種の現実逃避だ。
それまであった夢や希望を失って、そこから逃避した心が規模を狭めてストレスを発散しているのであって、こうしたものはどんどん時間とともにエスカレートして行き、これが長じて食文化が発展していくのだが、その遠くない未来に国家や地域の破綻、もしくは何らかの革命が存在しているものだ。


人類史に農業が顔を見せるのは、今から5000年前、メソポタミアのことだった。
イネ科の植物を大量生産する言わば農業革命が起こったが、それ以前の食習慣も勿論残って行った。
そしてそれまでの食物だった自然の植物などは、人間にとって安全なものは少なく、どちらかと言うと毒性があるものが多かったが、例えばイモ類などは生で食べると殆どが毒性で、腹痛を起こす事から、茹でたり焼いたりと言うことが発生してくる。


また肉食は基本的には資本を食べてしまうことになり、こうした観点から遊牧民たちの習慣は家畜は資本、そこから採れる「乳」を利子と考えるような習慣があり、だがしかし家畜が妊娠する期間は乳が採れないことから生まれてくるのが、チーズなどの加工食品であり、雄の家畜などは肉も食べるが、その場合でも長期保存が効く干肉にしておくことを考えたのである。


こうした遊牧民達はその食事にしても、座って食べる習慣が無く、立って肉やチーズをナイフで削って食べる。
これは火や湯を使う調理の必要が無いこと、また食器を持たなくて済むことなどを考えると、非常に合理的な考え方でもある。
ヨーロッパに皿やスプーンなどが伝わって来るのは実はイスラム文化の影響で、それまではこうした遊牧民たちの習慣がその初期段階だったとされている。


更にこうした食べ物に対する考え方だが、20年ほど前までは、エジプトなどの砂漠地帯に住む遊牧民の食事は、男性と客が至上主義で、女性や子供はこうした主人や客のお下がりを、食べていた地域が残っていたし、ヨーロッパでも少し前までは、流石に女性や子供は客や主人と一緒に食事をしたが、宴会で残った料理は、それを作ったサーバメントたちが食べると言う習慣が残っていた。


食に対する考え方は2つ有る。
その一つは生きるため、そしてもう一つは楽しむためと言うべきか、しかし良く考えてみれば、古い時代ほどその有り様は「生きるため」に近く、時代が新しくなってくるに従って「楽しむ」になってきているが、総じてどちらが幸せかと言うことは、私が論じるべき事ではない。


ただ、貧しい者が増えてくると、食文化は花開き、それは多くの貧しい者たちに比して、僅かでもそれより豊かな者たちによって進められると言うことであり、こうした意味では広く文化と言うものも、同じような原理で残っていくらしい・・・、そう言うものであることを、どこか頭の隅に置いて頂ければと思う。


食卓に食べきれないほどの料理が並び、あらゆる新しい食べ物が氾濫し、そしてその多くが捨てられる社会と言うものは、実は貧しい没落社会が、すぐ隣りまで来ている可能性がある。