2018/05/27 05:12

最近この辺でも何かイベントがあると、ロウソクをともしたり松明(たいまつ)焚いたり、はたまたライトアップという具合で「光物」が多くなってきたが、行ってみるとどこか不自然な感じがしてしまうし、そこにいる人も何かみんな同じ雰囲気で同じことを言う。
「自然に優しい、環境を思っている」と、それはいいのだが、どこか雑誌やテレビで聞いた話ばかり、おまけに環境がどうこう言いながら大型車で乗りつけ、茅葺(かやぶき)古民家を我が物顔である。


こうした田舎の古民家と言うものは、とても古い歴史があり、その地域で強大な力を振るっていた家が多く、地域住民にとっては特別な思いがあるもので、そこには「格式」と言う今は懐かしい「規律」のようなものがあり、そうした格式のある家には一般住民が入れなかったし、その家へ入れることはある種のステータスでもあった。
だからこうした古民家には必ず当主と特別なお客用の玄関と、普通の人の為の玄関、勝手口の3つの玄関があり、例え時代が変わってこうした家が行政の所有になり、一般公開されたと言っても地域のお年寄りはその「家」に敬意を払い、決して当主用の玄関から入ったりはしないが、それを平気な顔をして学生や、先生と言われる人達が靴を脱ぎ捨て通っていく。


田舎の文化を研究しているとする彼らがである。
そう古い文献でなくても、例えば昭和初期の記録には、こうしたその地域有力者の家での「村寄り合い」、分かりやすく言えば(現代の自治会集会)の様子を記録した文書が残っていて、そこには座敷に座れる者、居間に座れる者、廊下に座れる者、それ以外は軒先の外でしかこの寄り合いに参加できなかったことが記されている。
それもどの家の誰がどこに座るか、と言うことが細部に渡って決まっていたのである。


今これを読む人は、こうした話を聞くとそれは「差別」ではないか、と思うだろう。私も若い頃はそう思ったし、それが嫌でこの地域が嫌いだったが、この時代の有力者は地域のために道路を作る為の金を拠出していたり、地域社会に経済的恩恵を与えている部分もあり、そうした経緯からも地域住民からは妬まれながら、尊敬もされていた。
私の家は貧しかったから、私も幼い頃そんな激しいものではなかったが、やはりこうした格式のある家の子供から差別されたことがあったが、そのお陰で私は「いつかこんな奴滅ぼしてやる」と思い続けて来た。
そして動機は浅ましいが、こうした感情から頑張ってこれた部分は大きいと思う。


だが時の流れと言うものは残酷なものがある。
こうした格式のある「家」はその規模の大きさ故にすべて没落していき、今では一人暮らしのお婆ちゃんの為に私が米を作っているし、若い頃反発してひどい言葉を浴びせた別の有力者夫妻もすっかり老いてしまい、私が茶菓子など持って遊びに行けば、目を潤ませて喜んでくれる。
私は「恨み」が好きだったし、これを大事にしてきたが、そう恨みはその動機としては愚かだし非常に具合の悪いものだが、「力」の源でもあった。
だが、その行き着く先はこうした空しさだ・・・、ただ時が流れただけでその根拠は無くなり、逆に懐かしくさえ思う。


私はこうした旧家へ入ったときは、例え誰も住んでいない公開家屋だったとしても、絶対床の間を背にして座らないが、それはその「家」に対して敬意を払い、その当主に対しても尊敬の意をあらわすためだ。
私が最も憎んだ「田舎の仕組み」、形はどうあれ経済的差別、なぜかそうしたものが今はとても懐かしく、力さえも感じてしまう。
そして地域住民が思うその地域の文化とはこうしたものだ。
キャンドル焚いて「キャッ、キャッ」、私が決して背を向けて座らない座敷の床の間で、その床に腰掛けてすわり、日本文化について語る有識者・・・それをもっともらしく聞いている知識人や文化人、正直な気持ちを言おうか・・・文化を一番分かっていないのは君たちだ・・・。


また樹木はイルミネーションや夜のライトアップで年輪が歪むことを知っている人はいるだろうか。
クリスマスや正月、イルミネーションに輝く道路の木を見て可愛そうだと思う人間は少ないだろうが、私は木々に「済まない」と思いながら通っている。
米を作っていると、僅か自動販売機の光でさえ稲穂が出る時期に影響が出てくることがわかるし、近くの木の葉が少し小さくなっていくことがある。


また夏の夜のライトアップは近くに蛍が生息していたら確実にそれは減っていき、大体夜は暗いことが自然の仕組みの中で、無理やり光を当てられる木々がどんな苦痛を味わっているかも考えない「環境に優しい人達」のイメージの無さには、説明することさえ空しさを感じる。
だから何も人間に「楽しむな」とは言わないが、楽しんだらきちんと後片付けをしてくださいと言うことだ。
1週間なら1週間、10日なら10日でもいい、その期間が終わったらまた元に戻して置いて欲しいということなのだ。


都市に置いてならともかく、何も田舎にいてまで都市の真似をしなくて良いだろうし、第一都市に住む人がそもそも田舎に来て、自動ドアがサーッと開いてそれらしく作務衣(さむえ・お坊さんが作業時に着る作業着)を着たおねえさんが「いらっしゃいませ・・」とお迎えする、そうした観光を求めるだろうか。
私ならせっかく田舎へ来たのだから、引っかかって開きにくい戸を無理やり開けて、中にいる無愛想な男や女に会いたいと思うが・・・これは個人的嗜好だったか・・・。


自然環境を語るなら、まず自分がやることをしてからにすべきだし、文化を語るならその地域住民が一番話したがらないことに耳を澄ますのが良いように思うが・・・。