「まな板なおり」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/06/16 07:28


輪島塗の修行で最初に来る儀式が「まな板なおり」と言う儀式で、この時点からその人は輪島塗の世界に入った事を意味する重大な儀式だったが、通常は親方とその塗師屋に勤務する職人達が集まって、入門した弟子が「まな板」と呼ばれる長さ92cm、幅61cm、高さ17・5cmの二枚足が付いた作業台に座る事を見届ける儀式である。


この際「まな板」の後ろには「半畳」(はんじょう)と呼ばれる、横だけに縁の付いた長さ60cm、幅45cm、厚さが10cmの簡易畳が置かれ、弟子はそこに座るのだが、輪島塗の下地は半固形の調合漆を使う為、ここでは手の位置と実際に塗る器物との距離感が仕事を大きく左右する事から、まな板の高さと座る半畳の高さには、真上に近い位置から塗る器物が見れる形になる事が望まれた。


それゆえ「まな板」の高さは実際に座って見ると低い感じがするのだが、実はこのまな板の低さが大きな品物の平面を木ヘラで漆を塗るとき力が加わり易く、これを研ぐ時も力が均等に入る高さになっていたのだが、昭和50年前後から始まった弟子入門の国内グローバル化によって発生してきた椅子と机の流行が、やがてこうした「まな板」を排除する事になっていく。


また基本的に塗る器物が時代と共に小さくなって行ったが、これは塗師屋と言う組織の資本的衰退によって起こってきたものであり、こうした原因から従来板の間に「あぐら」をかいて作業する輪島塗下地の伝統的作業風景の洋風化が始まったが、椅子と机では本質的には抑えが利かない仕事になる。


まな板は本来調理に使うものだったが、調理にまな板を使う文化は中国と朝鮮半島、東南アジアの一部であり、これ以外の地域では「まな板」と言う定義が無く、諸説は有るものの、このまな板の習慣が箸の文化を発生せしめたと言われている。


すなわち東アジアで発生した儒教思想では、畜殺調理や殺生に使う刃物を食卓で使う事を忌み嫌い、孔子の提唱でも明らかだが、その遥か以前から「食」を崇高なものと考え、「殺」を汚れたものと考える流れが有り、この中で魚や肉は予め細かく切って措く事で、食事中に刃物を使う事のないようにした経緯が有り、細かく切った食材をつまむ為に箸が必要となって行ったと言われている。


日本の伝統的調理でも板の間でこうして魚や肉が調理された事から、本来のまな板には2枚、若しくは4本の足が付いていて、唯の板ではなかった。

そしてこの4本の足と板の厚みを足した総体の高さが20cmを超える事は無かったが、その理由は輪島塗の下地作業に同じ理由である。

出来るだけ上から真っ直ぐに包丁が当てられるように、まな板の高さが20cm以下になっていたのである。


輪島塗のまな板の高さはこうしたまな板本来の定義に起因していた。

しかし太平洋戦争が終わりアメリカ文化が入ってきた日本では徐々に家屋の洋風化が始まり、ここでまず板の間が無くなって、まな板も足の付かない板となって行ったが、同じように輪島塗のまな板も近代化によって机と椅子に変わって行ったのである。