「酒じめ」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/06/23 05:43



上塗漆、つまり黒や朱などの漆器製作工程の最後に塗る漆の話だが、漆の常温乾燥には「乾燥点」と言うものが在り、この乾燥点は平均に分布していない。

どこか一点の乾燥点が一番強く、その周辺の濃度を高くした状態で分布している。


例えば黒の上塗をした場合、塗って6時間から12時間の間に「かな息」と言って、ごみをかけないようにそっと塗った漆の上に息を吹きかけると、そこに青く光った反応が現れるが、こうした「かな息」が14時間を経過しても来ない場合、その漆は乾燥硬化しない可能性が高くなる。


また「かな息」の状態から12時間経過しても「息が来ない」、「息」とは弱い呼吸を吹きかけた時真っ白な反応が出る事を言うが、こうした反応が現れない場合、そのまま放置しておくと上塗漆は乾燥硬化しない可能性が出て来る。


従って上塗漆の乾燥点は「かな息」から「息が来る」状態までの中に一番大きな部分が潜んでいると見做され、「かな息」が来ない場合と、「かな息」からいつまで経っても状態が進行しない場合、室(むろ・ふろ)の中を水で浸した手ぬぐいなどで拭き、その中へ塗った器物を入れ、湿度を加える事で乾燥点を引っ張って来る作業が必要になる。


極端に寒い冬の日、または大変暑い日だと、漆はその温度に拠って乾燥能力が低下する。

このため春や秋には乾燥していた漆でも、こうした時期には乾燥できなくなる場合が出て来るが、これを引き寄せる最も確実で手軽な方法が「加湿」なのであり、こうした時期に加湿と言う手間を飛ばすと漆は乾燥できなくなり、いつまで経っても表面が硬化できない状態になる。


このいつまで経っても乾燥できない状態の事を「漆がなまる」と言い、こうした状態の物はその後手間暇かけて乾燥させたとしても、仕上がりはどこかで柔らかい感じにしかならず、この状態も含めて「漆がなまる」と表現する。

最悪の場合は塗った漆をテレピン油などで全てふき取り、表面を研ぎなおして再度上塗漆を塗る作業が必要になって来る。


昔の職人はこうした事態に遭遇した時、神棚に酒を献上し、そしてその酒で加湿するように弟子たちに言ったものだが、こうして酒で加湿する事を「酒湿め」(さけじめ)と言い、加湿の中では最高級の加湿ではあるが、既にここまで乾燥しなかった漆器の上塗は失敗が確定したと言う事でもあった。


酒湿めは完全乾燥を期待できるものではなく、乾く場合もあるがその大半は乾かない場合が多い。

またよしんば乾いたとしても研いで塗り直しは必至で、「酒湿め」の効用とは「天の定めだ、諦めろ」と言う意味、「普段からせこい事をしているからそう言う目に遭うのだ、余った酒は職人たちに飲ませろ」と言う意味だったかも知れない。


ちなみにこうしてせっかく塗っても上手く行かなかった時、昔の伝説では頭に来た親方が窓からその失敗した漆器を放り投げる逸話が残っているが、同時に一度放り投げた漆器を暫くしてから拾いに行く親方の話も残っていたりする。