2018/06/25 05:37



平成12、3年頃の事だっただろうか、輪島市内の漆器業者が伊藤忠商事系列のコンビニエンスストアで輪島塗の販売を企画した事が有り、この計画は能登半島地震被災支援の意味から、大手商社の好意的な判断から実現するに至ったものだった。


実はこうした企画は私自身も金沢で伝統工芸全体の振興を企画した2004年前後、「KANJIZI」「かんじざい」と言うグループを創設し、そこで異業種施設と連携して総合販売を行う構想を持っていた為、微力ながら後押しさせて頂いていたのだが、これに対して当時の輪島漆器商工業組合理事長は「高級な輪島塗をコンビニで販売するのは如何なものか・・・・」と言う談話を出し、これを新聞各紙が取り上げてしまった。


コンビニエンス各社、流通商社が不快感を発表したのは言うまでもない事だったが、「輪島塗は高級だから、コンビニエンスの商品とは並べない・・・」と言うような物言いに対し、元々低迷する漆器販売に対する支援的な感覚を持っていたコンビニエンス側の反発はとても激しいものだった。


だがこうした輪島の体質は、これも伝統的なもので、例えば漆器店を創業した当事者は色んな苦労を経験するが、その2代目、3代目はこうした経験が無く、輪島塗は輪島の主力産業だと言う自意識が、どうしても他業種を下に見てしまう「井の中の蛙経営者」を生じせしめる。


多くても数億程度の売り上げしかない経営者が、方や1兆円に手をかける売り上げをしている経営母体に対し、うちの商品は高級であなたの所の商品は3流だと言うのだから、客観的に見てもその田舎者加減は言葉を失うものだ。


輪島塗と言うものは前日の記事でも掲載がしたが、その概念は実に微細にして多様で統一した概念にする事は難しい。

せいぜいが布を張って輪島地の粉を使っているくらいのもので、この中で50歩100歩の者たちが自身の技術こそ輪島塗だと言う、概念の確定をそれぞれが主張し、これが日常的になっている事から、輪島の外へ出てもこうした癖が抜けず、勢い「コンビニエンスでは如何なものか・・・」と言うような見下した発言が多くなる。


また崇高な仕事をしていると言う自意識は、同じ輪島の他業種、人に対しても同様の傲慢さを招き、これを薄く牽引しているのが漆芸美術館や漆芸技術研修所などの権威主義でもある。

だが実態はもはや輪島市の主力産業は漆器ではなくなってしまっていて、漆器業界の低迷は他業種の人ほど客観的視観を有し、むしろ漆器業以外の職業の人達は同情的な視観に在る事が自覚されていない中で張られる虚勢、大言は人間の愚かさの見本のような状態に陥っている。


謙虚と言う蓑を着た傲慢は、むき出しの傲慢よりその愚かさが深い・・・・。