「夏の無言電話」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/07/02 06:49

もう20年も前くらいだろうか、祖母が死ぬ数年前の頃のことだった。
毎年お盆の少し前、8月11日か12になると家へ1本の無言電話がかかって来た。


電話がなって出るのだが、何も言わない、そうかと思えばすぐ切る訳でもない、何度か「もしもし、どなたですか」と尋ねた後私も無言になるのだが、不思議なことにその電話の先から悪意が感じられない。
むしろそこから感じるものは、言うに言われぬ思い、言葉にならない言葉が無言と言う形を取っているような気配があった。
この話を祖母にしたところ、即座に出てきたのは祖母の甥の名前だった。
「○○は生きているのか、死んでしまったのかな」祖母は不憫な甥のことを誰に話すともなく話し始める。


終戦から間もない苦しい時期、継母との関係が上手くいかなかった祖母の甥は腹が減って辛くなると叔母である祖母を頼り、祖母もまたそんな甥をかわいそうに思って食事を与え、いくばくかの小遣いを渡していたのだが、やがて成人した甥は結婚して子供も生まれ平和な家庭を築く。


しかしこの甥はある日勤務していた会社の金の使い込みをしてしまい、それから暫くして行方不明になってしまった。
以後40年、音信がなく、甥の兄弟ですら「もう死んでいるに違いない」と言っていたのだった。
だが確かにこれだけだと生きているという保証にはならないが、毎年この無言電話を取る私は祖母の甥は生きていると確信していた。
だから祖母には「生きているに違いない、きっと話しがしたいんだろうけど、いつも私が電話に出るから無言なんだ」と伝えていた。


祖母は恐らく中学生頃の甥の姿を追っていたのだろう、「○○の家ではご飯も遠慮して食べられなかったんだろう、いつも腹が減ると家まで来て・・・、おりゃ(私は)かわいそうでかわいそうで、何もないときにゃ茄子を焼いてな、それを醤油つけてでも食べさせてやったんだけど、うまい、うまいと言って食べていって・・・、あれもおばちゃん、おばちゃんって言っていつも来とったもんや。あんなことしたって言ってもおらんがなる(いなくなる)ことはなかったのに」
そう言って涙ぐむのだった。


祖母は明治の女で、マルクスの資本論を地で行くような厳しい人で、私などは小学3年生頃から家で何もしていないと怒られたし、季節の良い時には必ず農作業を手伝わされたものだ。
晩年、大分話す言葉が怪しくなっていた頃、近くの神社が祭りの日、「おー、今日は祭りや、これでなんかうまいもの(お菓子)でも買え」と言って枕の下から財布を出して500円を私にくれた。
中学生の子供もいる私に祭りの小遣いをくれるのである。
どうしようかと思ったが、私は「ありがとな」と受け取った。


昔、祖母はよく「○○の婆さんがこの間自分にジュースをくれたが、あれはもう長いことはないな」と言うようなことを言っていた。
人に物を貰ってそれはないだろうと思える一言だが、それまで人に物などくれたことのない人が急に気前が良くなると危ないと言うことだが、私は祖母の5〇〇円にそれを感じてしまい、悲しかった。
祖母はその年のお盆に死んだ。
彼女の甥や姪たちはみんな葬儀で彼女が親代わりだったと話して懐かしがっていたが、行方不明の甥だけはそこにいなかった。


もう恐らく80歳は超えているだろう。
幼少の頃もそうだったのだろうが、今生きていても死んでいても帰るところがここしかないこの甥がもう1度電話してきたら、私は言おうと思っていることがあった。
「祖母は死んだ。だけど祖母の全てを私が引き継いだ。だからいつでも帰ってきて欲しい」と。


残念ながら祖母が死んでからこの夏の無言電話はかからなくなってしまった。
もしかしたら既にこの世の人ではなかったのかも知れない。