「避諱」(hiki) | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/07/04 05:30

おそらく20代もほんの前半の頃だったと記憶しているが、私は同じ年代の女性から一通の手紙を貰ったことがあって、その手紙を読んで大変衝撃を受けたことがあった。
何とその手紙には「私」と言う言葉が一箇所も出てこないのであり、その割には自分の気持ちが延々並んでいる、そんな手紙だった。
 
 
早々この手紙に対してお礼の電話でも思った私は、手紙のお礼も方々、なぜ「私」を一回も使わずに手紙が書かれているのか彼女に尋ねたが、その回答はもっともなものだった。
曰く、「あんたのことだから、手紙などはすぐにゴミ箱に棄てられるだろうから、そこで「私」を使って書いてあると、まるで自分が棄てられるような感じがしたので、悔しいから(私)を使わなかった」、と言うものだった。
彼を知り己を知れば・・・の彼女ならではの話だった。
 
 
またこれも女性だが、私はもう一通「私」と言う一人称が全く使われていない手紙を貰ったことがあり、彼女は家庭の都合で引っ越す際に手紙をくれたのだが、そこにも「私」は一回も出てくることがないにも拘らず、自分の感情や考えていることがたたみかける様に書かれてあり、これはひたすら感動したものだった。
以来、私はこの2つの手紙を文章の手本としている。
 
 
面白いものだが、若いときの手紙と言うものは、女性の方が遥かに高い文章能力を持っているものだ。
そしてその基準となるのがいかに「私」、「俺」などの一人称が少ないかによってはかられる部分がある。
男性の手紙は一様に「僕が」「俺が」「私が」で始まって行くが、基本的に一人称の後にすぐ「が」が来る文章は自分の自慢話か自己主張にしかならず、これは謙虚な言葉遣いをしていても基本は変わらない。
 
 
それゆえこうしたことを防ぐためには「私」などの一人称を使う場合、、その一人称の直後の接続詞は「は」を用いると、最後へ行ってから「思う」などの言葉に為らざるを得なくなるので、自慢話や強い自己主張を和らげるものとなっていくが、本質的に「私」の多い文章は人に圧迫感を与える事が多い。
そして自分の意思を伝えると言うことは、その真髄が相手のことを理解することであるとするなら、自己主張をすればするほど、相手の理解は遠のくものとなっていき、即ち自分の真意は伝わらない。
 
 
だから本当は文章の全てから「私」などの一人称を取り払っても、それは人に通じるものであり、またそうした自身の思いが形容詞、動詞だけで、たたみかけるように並んだ文章と言うものは、まことに美しく、人の心を動かすものだ。
思うに文章に自信が有る人の文章と言うものはどこかでつまらないものであり、確かにそれは凄いかも知れないが、何の思いも残らないものが多い。
 
 
それに比して普段から文章が下手だと思っている人の文章には、どこかで「伝えたい」と言う誠意がこもったものが多く、これは自己主張の見本のような言葉遣いだが、「私は、こうした人の文章が好きだし、そうありたいと思っている」
 
 
また基本的に文章の中に一人称や、例えば人の名前などの固有名詞を多用してはならないことは、古来から言われている礼儀であり、例えば新聞紙面で印刷された総理大臣の画像などは、その新聞が読まれた後にはゴミ箱に棄てられ、それが風に舞って道路に投げ出され、そこを皆がその総理大臣のにこやかに笑った画像を、靴で踏んで歩いて行くのであって、こうしたことにならずとも固有名詞などは本質的に他人のものであることを考えるなら、それを本人でも無い者が多用することを、非礼とする古来からの考え方には一片の理が有るように思える。
 
 
そして人の固有名詞が大切なら、それは自分にとっても同じ事で、これを出来るだけ多用せずに文章や手紙を書くことは、これをして「自己」も「他」に対しても尊厳を現すことに他ならず、こうした事すら考えないようであってはいかにもまずいが、昨今文章だけではなくて、偉い先生の講演などを聴きに行くと、いかにこの中で「私が」、または「僕が」の多用されることの多いことか・・・。
これでは最後にコミニケーションの大切さを説かれても、そこに講演者そのものの思慮の無さを感じるだけである。
 
 
古代中国から伝わる漢字の用法には、「避諱」(ひき)と言う決まりが存在していた。
これは即ち、父母や祖先の本名「諱」(いみな)を避けて、言葉や文章中に使わない習慣だが、また相手の本名や「諱」の字を使わないことも礼儀とされてきた経緯がある。
こうした歴史からその王朝の天子の名や、その天子が尊敬する者の名前は臣下に措いてもそれを使わなかった。
 
 
例えばその王朝の天子が孔子を尊敬している場合は、天子はもとより臣下も孔子の諱である「丘」は使わない事が不文律となっていて、この傾向は中国東周時代から既に行われていたとされるが、それ以後の王朝により、また個人の感覚によっても、この不文律は厳しい時代と、そうでもない時代を変遷しながら残ってきた。
 
 
そしてこの不文律によって、後世書物の書かれた年代を知る上で、避諱された言葉があると、それによってどの王朝の時代に書かれたかが判断できたのであり、こうした慣習、不文律はまた一部で使えない漢字が発生する不都合もあったが、単純に伝統、礼儀としては勿論、それが後世、歴史が研究されるときのヒントとなる場合もあることを考えるなら、決して軽い物ではないことを憶えておくと良いだろう。
 
 
また李賀(りが)と言う人が中国の国家進級試験、「進士試験」を受けた時、この試験の名前が「進士」であり、これは李賀の父親の名前を「晋粛」(しんしゅく)と言ったことから、「晋」と「進」が音読みで同じだと言うことになり、国家進級試験を受けることが既に親の諱を犯すことになるのではないか、それゆえ合格させるのは不適切ではないか、そう言う議論が発生した時代もあった。
 
 
ここまで来れば殆ど言いがかりのような気もしないではないが、人の名前はこれほどに重い歴史を持ってもいるのであり、この裏返しには簡単に自分の名前が使われることに対しても、それによって相手の誠意がはかられるとしなければならず、また自分の名前や一人称の多用に対しても、そこからその文章を書いた者の質がはかられることは、間違いのない事実ではないだろうか・・・。
 
 
しかし、文章とはどれだけ書いてもうまくならないものだ、毎回、思った通りの文章になったことが無い・・・。