「等価定理の亡霊」・1 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/07/07 06:11

日本国内で土地収用、つまり公共の道路や施設建設のために、個人の土地などが行政や政府によって買い上げられると言う場合、まず国家なり行政はその土地の基準評価額を基本にして、該当する土地の買い上げ価格を決定するが、この基準評価額とはその地域で昨年度1年間で取引された土地価格の平均取引価格とされているものの、事実上、その地域で最も高く取引された土地価格を基準にしていくのが普通になっている。
 
そして一般庶民の感覚として、政府や行政が買い上げてくれるのだから、できるだけ高い価格で買って欲しいと思うのが人情と言うものだが、では買い上げ価格を個人が基準価格より高く買って欲しい、そしてその後の補償も充分過ぎるほどのものが欲しいとしたら、行政や政府はどうするだろうか・・・。
さぞかし土地収用の担当者は困るに違いない、そんな風に思うだろう。
しかしこれが実は「しめしめ」なのである。
 
当初2度ほどの交渉では「それでは周囲の方々との不公平感が発生します」などと言い、担当者は難色を示すが、最後には意外にあっさりと「仕方ないですね、では周囲の方々には内密にお願いしますよ」と言って、平気で基準評価額より高い値段での土地収用に応じてしまう。
 
だから行政や政府の行う土地収用で、強制代執行となるものは常に「金の問題ではなく反対」と言う人の場合であり、土地収用に措いては、価格が問題となって強制代執行に発展するケースはきわめて少ない実情がある。
それゆえ、ここから見えることは政府なり行政は、収用する土地がいくら高くても構わないのであり、しかもここには巧妙に個人の土地を高く買えば高く買うほど、その地域から政府や行政はさらに多額の金を集める仕組みを持っている。
これが「税制」の仕組みと言うものである。
 
冒頭でも述べたように、その地域の土地の評価基準額は、前年度1年度にその地域で取引された土地取引価格の平均が原則にはなっているが、事実上一番高額な取引が実際の取引価格となることから、この原則で言えば、土地が高く売れれば売れるほど、土地を収用される個人にとっては結構な事のように見える。
しかしこの在り様には裏があって、現実にはこの土地評価額は固定資産税の算定にも使われるのであり、ここで発生してくることは個人が土地収用時に高く該当地を売った場合、基本的にその地域すべての土地評価額が上昇し、固定資産税もまた膨大に上昇していくのである。
 
従って行政や政府は、どれだけ土地収用時に法外な金額を支払ったとしても何ら損失を出さないばかりか、20年かけて余分に払った金額に高額利子をつけて回収するのであり、なおかつその周囲一帯の基準評価額も、これで堂々と上げて算定できるばかりではなく、一度上げた固定資産税はなかなか下げないことにまでなっていて、ここから実際には土地収用に協力的だった人達の固定資産税も上げて徴収できることを考えれば、これによって得られる税収は笑いが止まらないほど大きな魅力があるのだ。
 
可愛そうなのは一般大衆だ、一部の強欲だった者たちは自業自得としても、そうではなかった人たち、例えば少ない面積の収用で土地を無償提供した、いわゆる土地を「寄付」した人の固定資産税も翌年から倍増してくることになるが、流石に行政などではこうした善良な人たちには気が引けるのか、もし何かの申請などが出された場合、その手続きのスピードなどに落差を設け、行政に協力的だった者と、そうではなかった者を区別していると聞く。
 
なかなか面白い仕組みであり、どちらに転んでも絶対損をせず、弱い者からさらに金をむしり取る在り様は、さながらヤクザが主催する「賭場」でキセルをくゆらせる悪人面の胴元親分の様相だが、これと同じような仕組みでは「日本国債」にも実に似たような思想が垣間見える。
今夜は古典経済学「リカード・バローの等価定理」と言うものを少し勉強してみようか・・・。
 
われわれ一般大衆は基本的に生涯に措いて得られる所得(恒常所得)と将来世代への遺産、つまり子や孫へ残す遺産などを考えて、現在の消費や貯蓄を決定している。
だがここで政府が一定の政府支出増加に伴い、その資金調達として公債の発行、若しくは増税によって資金調達をはかろうとしたとしよう。
そしてこのパターンでは政府支出が増大したと言うことは、国内景気が今ひとつと言う状況でもあることから、増税よりは気軽な、公債発行によって資金調達をはかろうと言うことになり、公債が発行されたものとしようか・・・。
 
この時合理的に物事を考えるなら、政府が発行した公債はその元金と利子の支払いが未来の増税になることを理解しなければならないが、その原理は簡単だ。
足りなくなったから、公債を発行するのであって、その支払いはいつになったら終了するのかと言えば、政府が発行したものには終了点がなく、例えば相当景気が良い時期があったとしても、それが税収から得られた場合は「予算」となり、基本的には予算には貯蓄しておいて返済にまわす、と言うような思想が存在してない。
つまり毎年使い切りが原則であり、景気が良ければそれに応じた要求が民間から発生してくる。
 
それゆえ、本質的には政府が発行した公債はいずれの時期かに措いて、増税と言う手段でしか償還できないものなのである。
そこで一般大衆は自分と子孫の税負担の増加に備え、消費を増加させない、保有した公債は資産にはならず、未来に措いて起こってくるであろう「税負担の為の貯蓄」と言う考え方を持つのが正しい。
つまり公債発行は、それが行われた時点で未来に措ける増税を意味していて、この点で言えば現在の増税も、未来に措ける増税も同じことになり、こうしたことを運命論的に考えるなら、公債の発行は一般庶民の生涯所得に影響を与えない・・・。
 
これが古くは「リカード」(D.Ricardo 1772~1823)によって提唱され、「バロー」(R.J.Barro)が定式化した「リカード・バローの中立命題」、若しくは「同価定理」「公債の中立命題」「ネオ・リカーディアンの同価定理」と呼ばれる理論である。
 
                          「等価定理の亡霊」Ⅱに続く