2018/07/12 05:34

優れた策略は人にそれが策略で有る事すら気付かせない。


それが策略かも知れないと人に思われる策とはむしろ未熟、小さなものであるとしたら、我々が暮らすこの世界でも我々が気付く事と言うのは程度が浅く、むしろ全く気付かないものの方に偉大さを思わねばならないかも知れない。


人間の目はどうしても光ったもの、尖ったものに関心が向かいやすいが、例えば奇跡などにしてもたった1回起こった偶然など、それが神の降臨だったとしてもたかが知れている。


その1回で終わるなら、さしたる事もないが毎日太陽が当たり前のように昇り、沈み、水が飲めて食べ物を得る事が出来る。

金も出さずに誰もが平等に無尽蔵に空気が吸えて生きながらえる。

毎日当たり前のように起こる奇跡は奇跡ではなくなり、やがてこの事を考えもしなくなるが、この考えもしなくなった事、毎日連続する奇跡こそ最も偉大な奇跡と言えるのではないか・・・・。


この意味で私は先鋭的な目立つ事を意匠とした物つくりには至って抵抗が有り、頼まれれば嫌とは言わないまでも、どちらかと言えば「普通」で有る事、存在しても邪魔にならないが、無いと寂しいと感じる物を思う時が有る。

これは素晴らしい物で・・・は、ある種の奇跡の申告だが、その最も偉大な部分が誰も気づかないところに在るなら、私は「普通」を目指したいものだ・・・。


1回限り、いや数回だったとしてもたかが知れている奇跡より、この世をごっそり頂くような、気付かない「普通」を、当たり前の事が当たり前で有るような物を作りたいと思う。


目立つと言う事は善きに付け悪きに付け、何某かの力の乱れが有るように感じる。

その意味では目立つことはある種の「問題」を抱えている事になり、ここではむしろ毎日の暮らしを言葉にする事もなく、目立つ事もなく暮らしている者こそが本当の力ではないか、そんな事を思う。


時々半月型、内朱の銘々皿に和菓子を置くと、ああ、やはりありきたりだが、これが一番安心して見れるな・・・・、などと思ったりする。

今日も暑くなりそうだ・・・・。