2018/07/15 07:20


1994年6月、この年混迷を深めた細川内閣以来の流れに、決定的な政治的終止符を打ったのは、社会党の村山富市内閣総理大臣だった。


日米安全保障条約、原子力発電計画、日の丸の掲揚、そして君が代、自衛隊に関する解釈など、従来社会党が主張していた全ての基本政策を180度転換して、自民党との連立内閣・・・と聞いたときには、口に入っていた食べ物が思わず吹き出そうになったものだが、こうして従来の主張を180度転換して周囲を驚かせることを当時、この村山総理になぞって「むらやまる」といったものだった。


そして大体この年代からだろうか、従来の日本が何かから脱落していったのは・・・。
従来から世界経済の方向性を考える上で、大まかには2つの考え方があった。
その1つはアメリカが持つ資本主義、金さへ有れば何でも出来る、頑張って稼いで豊かな生活を・・・と言うものだったが、こうした考え方でアメリカに追随していた日本は、ついにバブル経済で頂点を極めたものの、そのバブルが崩壊して全ての自信を失った。


その結果どうなったかと言うと、非常に享楽的、諦め社会となり、それまでにヨーロッパ社会がそうなりつつあった、刹那主義社会へと急激な方向転換が始まって行った。
すなわちここでは、「そんなに働いたってどうにもならんさ、だったらせめて生きていることを楽しもうじゃないか」と言ったような考え方が出てくる。
今まで頑張って働いていたお父さんは、会社から早く帰って来て、家で食事をするようになる。
また享楽主義、快楽主義は風俗の面から「肉体資本主義」を生み出し、ここでは少女たちの体が「商品的需要」を生み、性のマーケットでは少女たちの体が市場価格を持つに至った。


その上にこうした村山社会党の在り様だった訳で、世の中は「もう何でもありだな」と言う風潮に陥って行ったのであり、現在の日本に蔓延する、儚くも諦めに似た虚脱感は、こうした時期から始まっていたと考えることも出来るのである。


そして皮肉なことだが、こうした社会的変化をいち早く敏感に感じ取っていたのは、大人たちの享楽主義に翻弄されていく少女達だった。
この時代のヒット商品にはとてもユニークなものが多かったが、何と言っても女子高校生や中学生に人気が有ったのは「死にかけ人形」であり、浮き出たあばら骨に苦痛に歪んだ顔、飛び出た赤く長い舌、ついでに手足を鎖で縛られた、まことにグロテスクな人形が彼女たちの間で大人気を博し、みな通学かばんにこうした不気味な人形をぶら下げていたのである。


またこうした流れかどうかはともかく、同じ時期には「わら人形セット」も発売され、こちらも少女たちには人気があって、小さく可愛らしい「わら人形」をぶら下げた少女たちも確かに存在したのだった。
更にロックの世界では「橘いずみ」が「失格」を歌い、これも少女たちから圧倒的な支持を得たが、その内容は自虐的、自己否定な歌詞をロック調に乗せて早口で歌うもので、どう間違っても10代の少女が聴いたり、歌う代物では無いとんでもないものだった。


更にこれは究極と言えるかもしれないが、この時期に売り出されたものの中でも断とつキワモノは、「イモ虫入りキャンディー」だった。
これは普通のキャンディーに虫が入っているもので、1個380円もしたのだが、それが原宿で15分間に500個、完売したと言うから凄いものである。
ちなみにこのキャンディーの中のイモ虫、メキシコ産の高たんぱく食用イモ虫だったと言うことだが、これらが実際に食べるために買われたのかどうかは疑わしい。


またこれなどはどう考えても衛生上も良くない気がするのだが、同じ時期に実際にあったマスコットで、「毛はえ人形」と言うものが有り、こちらも少女たちに密かな人気を博していたが、髪が伸びるとされる呪いの人形を模したもので、おがくずに芝生の種を植え込み、ストッキングを被せただけの丸顔、丸い鼻に丸眼鏡のシンプルなものだったが、日に日に髪が伸びるその様子に少女たちは一喜一憂していた。


水をやると10日前後で緑の芝生(髪の毛)が生え始め、頭髪部に緑色の髪が生えてくるが、伸びたら好みの髪形にカットして、3ヶ月は楽しめるものだった。
一個1000円ほどで売られたこの「毛はえ人形」、何と1ヶ月で3万個が売れたのである。


そしてこちらはどちらかと言うと「死にかけ人形」の流れだが、画家ムンクの、あの有名な「叫び」に出てくる歪んだ顔の人物を模した「叫び人形」、こちらも大盛況で、メーカーはアメリカだったが日本では1993年以降、1年間でビニール製のこの人形が2万個売れていた。
価格は大きい方が身長130センチで、6000円、そしてこれより小さいものもあったが、こちらは身長50センチで1800円、ちなみにこの小さい方の人形は「叫び人形」に対して「こさけび人形」と呼ばれていたことも付け加えておこうか・・・。


さてこうして見て来ると、いかにこの時代が刹那的で、行き場の無い閉塞感に満ちていたかが分かるが、そんな中でも少女たちが作った流行で今も残っているものがある。
それが現在身分証明書を首からぶら下げたり、携帯を首からぶら下げる、あのストラップである。
バブル以前の日本社会は、首から物をぶら下げたあのスタイルを田舎くさい、またはいかにも物忘れをしそうだと言っているようなものだとして嫌っていたが、電車通学をする女子高生たちの間には、もしかしたら大人たちの価値観を無意識に否定していたのかも知れないが、ヒモの付いた大型の定期入れを首からぶら下げて歩く姿が流行した。


「大学の研究者みたいだ」と言うだけではなく、これまであった「見せかけよりも」、改札口でポケットから出そうとして手間取ることの無い、こうしたスタイルにオシャレ感を持つ「必要の美」を、彼女たちはいち早く時代の中に感じていたのだろう。


私は時折、今の子供たちを見ていて、申し訳ないな・・・と思うことがある。
どんな価値も相対化され、何事も許される、だから価値反転性を持ったものを評価する能力が競われてしまう。
相対化の中で「敵」が消滅し、否定の対象はもはや自分しかなくなり、しかも「真実」「善悪」「美醜」の絶対的基準を喪失してしまった精神を作ったのはこの時代の大人たちだった。
子供たちが不安を感じるのは当然だった。
そして生きるためと称して、我々は子供たちにこうした精神の復活を手助けしてやる機会を持たずに、今に至ってしまった。
社会の中で希望も持てずに、眼前の現実にしか価値を見出せない子供たちが生まれてくるのは自明の理と言うものだった・・・。


最後に、「橘いずみ」の「失格」と言う曲、おそらくyoutubeで聞けると思うので、もし良かったら聴いてみると良いかも知れない。
当時の不安な若者の在り様がストレートに歌われていて、私は好きだった。