「米と魚」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/07/22 06:01

この10年を見ていると、どうも世界的に産業のあり方、消費のあり方が大きく変わってくる時期なのかな・・・と考えるようになった。


イギリスに端を発した産業革命は効率、利益、資本と言う具合に、その後の世界経済に一定の法則をもたらしたかに見えたが、今日の株式相場、世界経済を見るに、全ての経済理論は唯「雰囲気」を元にしたものに過ぎなかったようでもある。
つまり「何となく先が明るそうだ、何か買おう」と「何となく先は暗そうだ、買うのはよそう」いろいろな経済学者、評論家が難しい理論を展開したが、経済はこの2つだけだったのではないかと思うようになった。


少し前だが、昔の知り合いで、今もデパートに勤務している男から電話があり、その中で彼はデパートの地位も随分下がってきたとぼやいていたが、何でもあるメーカーが試作して作った企画商品を、デパートでさらに利益を出そうとして、そのメーカーとは別のメーカーで安く作ってもらい、売り出したら、もとのメーカーから訴えると言われたらしい。


道義的にもっともな話で、これで文句を言うデパートもどうかとは思うが、昔だったらこのパターンでは多分メーカーは文句を言えなかった事は間違いない。
下手に文句を言って、取引を打ち切られたらそれこそ大変だったからだが、それはこのデパートがある程度の売上を出していたからだ。現在のように余り売れない割に、人の企画を横取りした場合、それは間違いなくクレームがつけられる。
それだけデパートの力は衰退してきているのだ。


バブルがはじけた直後、それまで商品流通の中でメーカーと小売店のクッション役になっていた「問屋」と言うものが、流通コストになるとして、どんどん排斥されていったが、今度はインターネットと通販事業、宅急便などの普及によって、消費者とメーカーに直接のルートができ、デパートなど小売店事業が販売で侵食を受けてきているのだ。
また家電大型専門店などの進出も大きいだろう。


昔のデパートはひどいものだった。
出入りの業者に毎晩のように酒をたかる外商部員、愛人との旅行代金を仕入れ先から出させている仕入れ担当、旅行の企画をすれば、売れ残ったチケットは全て出入り業者に買わせていたケースもあった。
業者はなけなしの金でも付き合わねばならず、ヨーロッパ10日間150万円なりのツアーを、銀行で融資して貰って何とかしていた人もいた。
また着物の企画では着物をつき合わされ、宝石でも同じ、つまらぬ陶器や漆器などもあったが、絵画、家具など売れ残りは必ず業者に付き合わせるのが、デパートのやり方ではあった。


だがそれでも業者は文句を言わなかったのは、それ以上に自社の商品を買ってくれていて、それに対する決済、支払いが安定していたからだ。


また一般には余り知られていないかも知れないが、物の価格には上代(じょうだい)と下代(げだい)がある。
上代とはデパートで売られている値段、下代とは業者がデパートに売り渡す価格だが、昔「問屋」と言う、メーカーとデパートを繋ぐ流通経路があった時は、その価格は「4つ折」つまりメーカー納入価格の4倍が普通だった。


1万円のものは2500円で納入されていて、しかもメーカーはこの2500円の中で利益を出しているから、多分実際の製造価格は1万円の物で1200円くらいではないだろうか、そしてこれはまだいい方で、大きな問屋と小さい問屋が2つ絡んでいた場合は「いち・ごー」つまり1万円のものは1500円で納入されていたケースもあった。


その上で、デパートは仕入れ業者が他に直接販売する場合でも、デパート価格、上代で販売するよう縛りをかけていた。
これはつまりデパートが価格競争に負けないよう、メーカーに価格統制を強いていたのだが、もっと簡単に言えば、自分が作っている物だとしても、それを独自の客に販売する場合でも「デパートで買え」と言うことで、「これだけ売ってやっているんだ、それくらい協力しろ」と言うことだった。
そしてバブルがはじけて「問屋」がなくなってもデパートはその分の利益をメーカーと折半したかと言えばそうではなく、利益は全てデパート側に落ちていったのである。


また先生稼業、「○○家」と言われる人、例えば画家、陶芸家、染色家などの品は全て作品展をした場合、大手デパートでは25%が製作者、残りはデパートの収益になっているし、これが良い条件でも35%が製作者に支払われる金額で、残り65%はデパートの収益となっている。
つまり私達消費者は殆どデパートの売り場経費、人件費を払って作品を買っているのだ。
これがギャラリーでは、良い条件だと製作者60%、ギャラリー40%、悪くても製作者50%を切る事はないが、その代わり下手をすればデパートの上代価格より高い価格設定がされていて、製作者がにこやかに出迎えてくれる、その笑顔までが価格に含まれていたりする。


昔、仕事で独立した時、よく先輩から「人は物を買うんじゃない、お前を買っているんだ」と言われたが、私はこの言葉が大嫌いだったし、今も嫌いだ。
自分は技術で勝負したい、だから自分などどうでもいいし、何と思われても構わないが、「この技術がいい」と言って貰えたらと思っている。


また私は兼業農家でもある。
だから秋はコンバインで稲刈りなんかもやっているが、当然これは家の仕事なので、会社スタッフには手伝って貰うことは出来ず、忙しければ昼食を自宅まで食べに行けないので、近くで湧き出る水を飲み、おにぎりを食べて少し休む時がある。
これもかなり以前の話だが、こうして昼休みをしていた私は、疲れが出て、秋の良い天気に田んぼの土手で眠ってしまったことがあった。


それを具合が悪くて倒れているのかと思った通りがかりのトラック運転手が「おい、大丈夫か、トンビにやられるぞ」と起してくれたことがあり、この運転手と喋っていたら、彼も漁師で、トラック運転との兼業だと言うことがわかった。
確かに危ないところだった。
トンビは例え人間でも、倒れて動けないと知ったらその肉をついばもうとし、そうした場合真っ先にやられるのは一番柔らかい部分、まぶたと目なのだ。


それから道で何度か出会うたびにお互い手を上げて挨拶したり、クラクションを鳴らしたりして合図するようになったが、この男はとても寡黙で、無愛想なのだが、いつも通る道路沿いにある私の家も知っていて、たまにアジやカレイをくれたりするので、私もナスやキュウリ、芋や米などをお礼に持たせるようになり、今も続いている。


妙なものだが、漁師と農家は何となく同じ匂いがする。
そして経済、流通でもし自分が理想とするところがあるとしたら、この男とのやり取りでありたいと思う。