2018/07/31 06:09
これは輪島塗だけに限らず工芸会全て、いや現在の日本社会全般に付いて言える事だが、「頑張っている」と言う価値観は既に手遅れだと思う。
頑張っているから結果が良いとは限らず、頑張っても、頑張らなくても結果が同じなら頑張らない方が効率は良い。
また頑張っていると言う感覚は他者評価感覚であり、ここでは表面的に他者が知る範囲をして当人を評価した言葉が「頑張っている」と言う事なのであり、この言葉は自身が使う言葉ではない。
頑張っていると言う言葉を喜ぶなら、それは他者が持っている頑張っていると言う価値観に拠って、自身がそれを目指してしまう事になり、ここに自身の価値観の完結を求めることはできず、頑張っていると言う価値観は表面上の形に捉われ、本質は失われてしまっている事が多い。
プロフェッショナル、職人の本分は仕事の完結に在り、他者から頑張っていると言う評価を受けることではない。
頑張っていると言う評価を求めるは、もしかしたら仕事に対する自信の無さを自己擁護したい為、或いはできていない仕事に対する言い訳であるかも知れない。
頑張っていることをして価値観とするは、手続きを評価して結果を蔑ろにする事に同じかも知れない。
同様にコミュニケーションでも「親しい」と言う形をしてコミュニケーションと考える事は頑張っていると同等傾向の勘違いと言えるだろう。
みんなで集まってバーベキューをしたとする。
これを企画した人、主催者は集まった人が皆喜んでくれる、感謝しているものと錯誤し易いが、来ている人は嫌々ながら断りきれずに来ているかも知れない。
上司からの誘いだから来ているかも知れない。
その本質は親睦ではなく、実は本質的関係が壊れてしまって行く方向の可能性もある。
人間は言葉に拠るコミュニケーション、表面上の笑顔をして良好な関係を築いたと考えがちだが、コミュニケーションの中には沈黙や、目の前にいないが故に良好なコミュニケーションも存在する。
早く家に帰ってDVDでも観たいのに、「今夜は俺のおごりで飲みに行くぞ」の結果はYESの中のNO、つまりNOより深いNOとなってしまうのである。
だが「俺のおごりで・・・」と言う者に取っては他者は感謝するだろう、自身は良い事をしていると言う、「自分の範囲」を全く出ない価値観の強要だと言う事に気づかない。
人間は立場が上の者には抗し難い、為に笑顔で感謝する形を示すが、その感謝の本質には恨みが潜むかも知れない。
そしてこうした感謝の本質に潜む恨みを避ける方法は「親しくしない」と言う事になるかも知れない。
損もしないが得もしない関係、つまりは他者への干渉を行わない事は、他者に取っての善悪双方に措いて干渉しないと言う事であり、感謝を買おうとするなら恨みもまた買い易い、ならば感謝を買おうとしない事なのである。
プロフェッショナルにはこうした冷徹さと謙虚さが必要ではないかと思う・・。
そして「頑張っている」の売り買いは、こうした感謝の売り買いの無意味さと傲慢さに同じに見える・・・・。