「侵入型重複人称」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/08/02 06:08

我々の日々の行動は全て自分の意思決定に拠って為されているように見えるが、例えば仕事で人と面会しなければならない場合、そこには相手の都合と言うもう一つの意思が働き、友人との約束、恋人との約束もその共通の約束に拠って自身の行動決定要因が成立している。


またブログで文章や写真を掲載するにしても、それが例え自身の記録だったとしても、公開している場合はどこかで予め「他者」を期待している事になり、この他者に対する期待と言う影響は特定の1人称ではないが、不特定多数の反響と言う他者の意思を動機の一部にしている。


このように考えて行くと、我々人間社会に暮らしている者に取っての完全な1人称は成立が難しい。

全てどこかで他者の人称が加えられ、しかもそれを他者の人称と意識すらせず1人称と自覚している「重複人称」が多いのである。


だが、仕事の相手と言う対象がある場合、或いは恋人や友人、また不特定多数で有っても漠然とでも対象が意識できるものは形としての見え方が存在するが、世の中にはこうした形が見えない人称、予め人称が付帯しながら、それを1人称と錯誤させているものも多く、これらの重複人称を「侵入型重複人称」と私は呼んでいる。


原始的なところでは、スーパーやコンビニエンスストアーなどで、清算レジ付近にさりげなく並んでいる商品が有るが、これなどは清算する時の僅かな時間で「ついでに1つ・・・」と思わせるものが置いてあり、どうしようかなと思っている間にもレジの清算が終わりに近づくと、思わず最後に追加してしまうケースが多くなる。


これなどは自分の意思で選択したものだが、その選択の一部分を手助けしているものがスーパーやコンビニエンスストアーの主宰者の、1個でも多く売れて欲しいと言う他者人称が予め存在して成立する。


そしてこれが更に巧妙になるとアドバイザーやマヌカン、コンシュルジュと言った、自分の側に立っているような顔をした他者の意思を持つ人称へと進化し、ここでは如何にも自分の為と言う形を取りながら、最大でも自身と相手の利害一致点、悪ければ相手主導の人称に持ち込まれるのであり、これが利害関係に無ければ、他者人称に拠って自分と言う1人称を錯誤している事にまで及ぶ。


コーディネーターのアドバイスなどはコーディネーター自身が生産者ではないから、どれを選択するかは「専門知識」と錯誤され易いが、これも社会と言う漠然とした他者人称の影響が避けられず、またもしかしたらコーディネーターの好みも含まれているかも知れない。

コーディネートされたものは、専門家の意見を聞いて自身が判断したと思うかも知れないが、それは自身の選択ではなく、予めコーディネーターと言う他者人称が重複されているのであり、それが自身には気付かれないようにデコレートされているだけなのである。


更にこれが画像や映像に至ると、コマーシャルならまだしも流行の服を着ているアイドルなどは、この時点でメーカーや服飾デザイナー、衣装担当、ヘアメイクや照明、カメラマンの人称が予め含まれ、観ている者は自分で見ている気になっているが、それらは既に人の人称、しかも複数の膨大な人称になっている訳である。


勿論こうした傾向は例え景色の映像でも、それを第一選択したのはカメラマンや企画者であり、それを観ている自分は他者の人称に共感している、或いは他者の人称に自身を重ね合わせているだけ・・・とも言えるかも知れない。


インターネットの世界は、実はこうした重複人称、しかもしかも侵入型の重複人称に拠って成り立っている。

第一投稿者、企画者は1人だが、これがネット情報に流れた途端多くの人称が加えられ、最終的端末の人称はそれを1人称と錯誤しながら、特定方向の意思を持たない無意識流動に踊らされているだけになる。


自身が視覚的に見て良いなと思ったとしても、それは既に他者がもう自分に見せているものである事に鑑みるなら、この時点で1人称では無く重複人称、しかもその見せている者の意思なのである。


我々が観ているものの多くは「見せられている」のであり、聞いている多くの事は「聞かされている」のかも知れないのである。