「東条英機」第二章 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/08/12 05:07

第二次世界大戦は、本当のところ日本が真珠湾攻撃を開始しなければ、この段階では世界大戦にはなっていなかった。
ドイツ、イタリアのヨーロッパアフリカ戦争だったが、ドイツ攻撃をもくろむアメリカの作戦は、対立していた日本を追い込み、そこから戦争大義を得てドイツ攻略の足がかりとするもので、この点ではその戦争視観において、平面と立体ぐらいの差があった。真珠湾攻撃は東京時間の12月8日、午前7時45分、第一次攻撃隊の先頭を飛行する淵田総指揮官機に搭乗する、水木徳信一等兵曹のモールス信号「ト」の連送で始まった。突撃命令の「ト」であったが、同日午前7時52分、淵田中佐は水木兵曹に「トラトラトラ」の打電を命令する・・・、すなわち「われ、奇襲に成功せり」である。


真珠湾攻撃を巡っては、もともとこの作戦は海軍、山本五十六が推していた作戦であり、その背景にはアメリカを良く知る山本が、こうした奇襲作戦である程度勝利を収めた時点での講和がその作戦目的だった。
つまりこの時点では戦争目的と作戦の終了点が存在してたのだが、日本はこの作戦で勝ちすぎた、また暗号電文の解読に手間取り、宣戦布告の通知が真珠湾攻撃の後になってしまったこと、これらがあいまって「日本は卑怯だ、絶対許せない」と言う気運がアメリカ国内に拡大していくのである。


戦争を始めなければならないときの首相、その決断をしたとき、人間はどう言うことを考えるものだろう。
東条は家へ帰っても、家族には一切政治や軍のことを話さなかったが、それは東条の軍人としての職務ゆえ、また家へ帰れば一家の父としてできることが、ただ黙っていることをして、自身ができる精一杯の思いやりだったのかもしれない。


太平洋戦争の開戦を決意した日、東条はいつものとおりに帰宅し、まずは先祖に挨拶をするつもりだったのか仏壇にお参りし、それから婦人に1人にしてくれと言って早めに休んだようだが、その夜明かりが消えた東条の部屋からは、遅くまで東条の押し殺した嗚咽が聞こえていた。


天皇陛下のご期待に最後まで応えられなかった、もとより陛下のためであれば、この東条、命をかけてお仕えする覚悟なれど、大勢の意そこ(開戦)にあれば、我、大勢をおもねる者としては、これに抗すことかなわず、それをして陛下の御心に翳りを生じせしむるを、ただ唯、申し訳なく・・・。


私が幼い頃、神棚の隣には昭和天皇と皇后、明治天皇の写真が飾られていて、大人たちはそこを通るたびに姿勢を低くして頭を下げていた。
写真で見る昭和天皇と皇后は、明治天皇からすると、その威厳と言う点で少し見劣りがしたが、私も大人たちと同じようにそこを通るときは頭を下げて通ったものである。
そしてその写真は今も家の神棚の隣に掲げてあり、私はたまにそれを眺めているが、こうしてみると昭和天皇も随分と風格があることに気づく、そして大して尊敬もしているようには思えないが、なぜか僅かでも頭を下げてそこを通る自分がいる。


東条は戦争の恐ろしさを分かっていて戦争を始めたかどうか、おそらく分かってはいなかっただろう。
この点では木戸幸一とさほど大差が無いが、東条の開戦の決断、この話を何か感動的なものと思ったら、それは違う。
東条の天皇陛下に対する気持ちは分かる。
しかしそこには感動的な話の影に隠れて「国民」の姿が消えているのであり、東条が婦人や子供たちのことを考えなかったとは言わないが、1人1人の命が極めて軽く考えられていることだ。


誰でも、もしかしたら戦争を決断しなければならない状況のとき、総理大臣の椅子は躊躇するだろう。
皇族は天皇との関係を考えて大日本帝国憲法へのかねあいから、皆内閣の組閣を拒んだが、東条は余りにも官僚主義的、事務的男だったことから、この大命を引き受け、ただ唯黙々と事務的に戦争をこなしていくのである。


軍人と言えども平時のときは1つの組織であり、そこに求められるのは高い事務処理能力だ。
東条は若いときから努力の人であり、自分に与えられた仕事を全力で全うしようとするところがあり、大変な勉強家でもあった、このことが東条をどんどん高い地位へと押し上げていくのだが、その根底はどうしても法令順守の型抜きされたようなものの考え方であり、だから開戦前、陸軍、海軍、その他財界や皇族からも、「開戦時の総理としては東条は妥当だが、戦争には向かない男だ」・・・とされていた。


随分卑怯な話である。
戦争の表紙を東条にして、後は好きなことをしようと言う、こうした輩の姿勢は終戦後まで続いていくことになる。


真珠湾攻撃で大勝した日本は、国内中が日露戦争当時の再来と湧き立ち、関東大震災以降ずっと続いていた不景気に加え、その後の世界恐慌でズタズタになっていた民衆の生活の中に光を差し込ませた。
「アメリカ何するものぞ・・」大本営の発表は、今や世界の半分を手に入れた超大国日本に敵なしの雰囲気を伝え、民衆の多くも「ああ、これで少しは暮らし向きも良くなるかも知れない」と思った。


そしてこうした戦況に伴い、東条の人気も上昇していったが、現実は小さな風船が大きく膨らんだだけのことであり、このことは現在の日本でも余り変わらない。
すなわち日露戦争での勝利は戦争による勝利ではなく、むしろ外交交渉による勝利だったことを日本国民が自覚していなかった。
このことから一挙に国際的注目を浴びた日本は、その身分をわきまえず、自身を大国と思い始めたことに、太平洋戦争の鍵が潜んでいた。


ここに日本は、本来の実力以上の力を自国に信じ、その根拠となるものが軍事力しかなかったことに、しかもその軍事力は継続作戦が可能なものではなかったにもかかわらず、ナショナリズムと言うプライドに押され、方や追い詰められた資本主義の行き場としての、帝国主義から戦争にひた走っていったのである。
そしてこうした状況は何故か今の日本でも余り変わっていないように思う。


中国に追い抜かれ、その立場も風前の灯にありながら、それでも世界第3位の経済大国、人々は休日になると旅行やゴルフに出かけ、困った金が無いと言いながらも、多くの人は週末ショッピングを楽しみ、豪勢な食事をし、その生きることを楽しんでいる。


しかし現実の日本は負債が、公式見解でも1000兆円を超え、実に国家予算の10年分以上の借金をしていて、その上まだ自分で紙幣を印刷して金を増やしているのであり、増税は避けられないとしながら、膨らんでいく風船の空気を、さらに入れ続けているのである。
この姿を見ていると、まるで太平洋戦争開戦時の、まったく一時の夢幻でしかない大日本帝国が破綻に向かって膨らんでいく有り様に重なって見えるのである。