2018/08/21 07:32

ジュルナル・デュ・テキスティル、これはフランスのファッション業界紙だが、この雑誌の数年前の人気投票によると、ベストテンに入っている日本人のデザイナーの少なさが目に付く。
2006年に山本輝司がバイヤー部門の8位に入っているのが最高で、後は日本人が一人も入っておらず、ジャーナリスト部門では日本人でランクインされた者が1名もいなかった。


1995年前後までは川久保玲、山本輝司、三宅一生と言う大御所達の活躍は世界的な評価得て、少なくとも1970年代後半から20年ほど、ファッション界の最先端はこうした日本人が常にリードしてきた感があるが、新陳代謝の激しいファッション界で、長きに渡って常にそのトップであり続ける事はまことに特殊なケースであり、また大変な偉業とも言えるが、ここにいたって「アンダーカバー」や「ズッカ」を除けば、こうした大御所たちに続くブランドが全く無くなってきていた。


また「マスターマインド」のように、世界中の注目を浴びた東京ストリートのデザイナー達も、まず海外の展示会を優先していく方向にあったため、ショーと言うものを開かない傾向になって来ていたし、これまでであれば東京でその実力を試し、そして世界へ羽ばたくと言うのが一つのファッション界の流れだったが、膨大な経費と時間を要するファッションショーへの参加は、実力のある者ほどこれに参加しなくなり、こうした意味では頂点のブランドを欠くパリコレの存在意義は年々薄れはじめている。


そしてこうした傾向に呼応するかのように、東京では独自のファッションコレクションや、ファッションウィークが発展し、その代表格がエビちゃんこと、「蛯原友里」や「押切もえ」などファッション雑誌「CanCam」の看板モデルを媒介として発展して行った、「東京ガールズコレクション」などであった。


ファッション携帯サイト「girlswalker.Com」「fashionwalker.Com」を運営するブランディング(旧社名ゼイヴェル)が主催したこのイベントは、2005年にスタートしたものだが、モデルが着用しているその洋服が、その場で携帯電話で購入できるよう、同社のサイトと連動した形態だったこの新しいコレクションは、「モテ系」や「赤文字系」などの人気ブランドを集め、2回目の開催では有料のイベントにも拘らず、1万8000人の女性を集め、2006年にはパリで開催される日本のポップカルチャーの見本市「ジャパン・エキスポ」に「東京スタイルコレクション」として招かれるまでに至った。


またこの当時から現在もそうだが、相対的に高齢化社会の中にあって若い女性の価値は高騰し、その結果若い女性は特別扱いの傾向が社会に現れ始めるが、こうした傾向は何も今に始まったものではないが、本来彼女達は変わらなくても、周囲が高齢化によってグレーになっていく中で、変わらないと言うことは結果として上昇したと同じ効果になった為、彼女達は独特の高揚感が味わえるようにもなって行き、こうした傾向の流れが「私は特別」と言う意識に繋がった「セレブブーム」である。


セレブ意識と言うのは知的な関心は薄いが、有名で資産があれば、美貌でも高級ブランドでも、ボーイフレンドでも手に入らないものは無いと言うような、まことにバブリーな、あっけらかんとした活気のことだが、もともといつの時代でも女の夢を向こう側に見ているファッションと言うものの本質からは、そう外れない意識でもあると言えるだろう。


更に日本国内のファッションは、その販売と言う点から、年代やスタイルに応じて更にきめ細かいものになっていくが、こうした中で「J世代」や「FI世代」「クラシコ系」「小6サイズ」「アクセシブル・ラグジュアリー」などの区分が発生してくる。
「J世代」とは団塊世代と団塊世代ジュニアの間に生まれた1960年代前半生まれを言うが、その代表格で言えば黒木瞳、松田聖子の世代であり、子育てが終わりオシャレやグルメ、そして子供にも金を惜しまず消費する、または出来る世代の大人の女性を指した販売区分である。


「東京コレクション・Ⅱ」に続く