「表情の修正・Ⅱ」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/09/12 05:51

さて話を元に戻すと、プンプン怒ってエレベーターを出て行った女はその後、他の乗客からどう思われるかと言えば、皆気分は悪くなりながらも、共通の「怒り」の感情を感じるのであり、ここで言える事は、こうした場面で怒りを感じることが、他の乗客たちも共通して持っている「理解可能な感情」だと言うこと、女が怒るのは認知された行動になると言うことで、皆気分は悪くなるが、心の中では40%ほどが女に理解を示す。
 
「そうだ、そうだ」と思っていることが多くなるのであり、この場合怒りの対象は存在しない、怒りだけが独立した感情となるが、このケースでも「怒り」と言う、薄い共有化されたコミュニケーションが形成される。
 
そしてこれが日本人には一番多いが「加減法」(modulation )と言う感情表現コントロールがあり、エレベーターで言えば、女性が少しだけ首を傾げて、そして出て行く場合である。
本当は心の中で「えーっ、何で・・・」と思っているのだが、そうした感情を見られまいとして、少しだけ不思議、不満そうな表情をする。
 
表情コントロールは、ある種のコミュニケーション的「変装」とも言えるもので、一般社会と言う環境では自分の本心を晒す事が危険、若しくは不利な状況を生むことが、どこかでは無意識の内に社会全体に認知されていることから、特に意識しなくても、多くの人間は特定の場面では同じようなリアクションをするようになり、そのリアクションがあることで、相互の感覚的共有感が発生するが、人間の注意と言うものは大きなものは見逃し、微妙な誤差を拾い易い。
 
それゆえ「変装」でも全く周囲と同じような格好をするか、それで無ければ相当周囲とは浮いた格好をした方がバレにくい。
プンプン怒る女、「偽装法」はいわゆる派手な変装であり、「修正法」の女性は周囲に同化、理解を求めようとすることで、「格好の悪い状況」を変装させた。
 
また最後の女性のパターン、ここではエレベーターの他の乗客に対し、少しだけ本来の自分の感情から、何かを差し引いたような感情表現をすることで、「消極的」な雰囲気的共有を求めている。
格好の悪い状況を「消極性」によって緩和しようとしているのであり、「加減法」は常に一般的であることを価値感とする日本に有っては、無意識のうちに使われる最もポピュラーな感情コントロールと言える。
 
人間はコミュニケーションの多くを言語に頼っているように感じるかも知れないが、その実「言語」と言うものは最も信頼性の薄いものであり、そこに感情表現が加わって、言語に価値を生じさせている。
その中でも表情コントロールのような「無意識」の表現は一番信頼性があり、それゆえに初対面の多くの者に対し、一瞬で共有された感情を伝えることができるが、これは一方で「影響力が少ない」からでもある。
 
言語は感情表現でもあるが、「契約」でもある。
つまり「言語」は未来を持っているが、表情コントロールはその瞬間の表現であり、瞬間に完結したものとなるがゆえに、無意識の内に相互信用が発生するが、言語の持つ契約の部分では、常に未来は不確定であることから、このような瞬間的な相互信用、感情や意識の共有は生まれない。
 
おかしなものだ・・・。
人間は自分の意思を伝える為に言語を持つに至ったが、その実言語では人に確かなことが伝わらず、言葉ではない表情や動作、そして無意識のうちに現れる「変装」の方が一瞬にして理解されるとは・・・。
そのむかし「言葉」は「言霊」(ことだま)と呼ばれ、人間の魂を現すものだったと私は記憶しているが、もしかしたら現代の我々が使っている言語とは、「言葉」ではないのかも知れない・・・・。