2018/11/12 07:41

一方一般家庭に措けるカレーライスの普及は、1903年(明治36年)に初めて粉末カレーの国内生産が開始された事から、大正、昭和初期になるとカレーライスは一般家庭へも普及が始まってくるが、これが飛躍的に地方へと波及していく経緯には「日本軍」の台頭が深く関係していて、大鍋で大量に作ることが可能なカレーライスは軍隊でも大いに採用され、しかも人気メニューだった。
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1873年(明治6年)には満20歳以上の日本国民男子は兵役の義務が課せられる、所謂「徴兵令」が発布されるが、地方から兵役で軍隊入りした若者達が、軍隊でカレーライスの味を覚え、それまで地方にまでは普及していなかったカレーライスが、こうして軍を除隊した若者達によって地方へ持ち込まれ、この事が地方へカレーライスを波及させていく事になった。
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おかしなものだが、カレーライスがこれほどまでに日本人に愛される事になった背景には、それが主食の米とのマッチングが抜群だった事もさることながら、明治時代から太平洋戦争後まで続く牛肉価格の高さも影響してしているようだ。
1902年(明治35年)、牛肉100gとカレーライス1食の価格は同じ7銭である。
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ところが1932年(昭和7年)にはカレーライス1食が10銭前後なのに対し、牛肉100gが34銭、つまりはカレーライスの3倍の価格なのであり、これが逆転したのが1950年(昭和25年)のことで、この時は牛肉100gが37円、カレーライスが50円となっているが、これはカレー粉末の調達の難しさ、他の材料を揃えて調理する事の難しさから価格が逆転したと考えられる。
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これが1980年(昭和55年)には牛肉100gが339円、カレーライスが450円となり、ほぼ価格は拮抗する。
つまり日本の農業では常に酪農分野はコストが高くなると言うことであり、これが太平洋戦争敗戦によって、価格の安いアメリカやオーストラリア産の牛肉が入ってくるようになって、初めてカレーライスと牛肉100gの価格が同じになったのである。
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カレーライスはその豪華さと相まって、何と言っても牛肉の量は少なくて済む訳で、同じように高価な牛肉や豚肉を効率的に、豪華に見せようとする食堂関係者の努力は「トンカツ」「カツレツ」などを生み、西洋では一般的にコロッケと言えばクリームコロッケだが、ここでも日本人の代替材料調達センスは抜群の商品を発生させる。
それが現在も人気が高いジャガイモのコロッケである。
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日本は肉が高かった、この事がカレーライスの文化を深め、更には日本式の西洋料理を発展させた。
現代でも続くレストランやホテルの人気メニュー、これらが現代の形のようになったのは大正時代のことであり、この時期に今も存在する洋食はメニューは全て出揃っているのである。
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最後に植物の肥料に関して、植物の肥料はその成分が一番少ない肥料の成分が植物の成長を支配する。
すなわち牛肉が高くて使えないから、あらゆる洋食が発展したことを考えるなら、大量に存在するものは発展せず、少ないものほど発展すると言う事なのかも知れない。