2018/11/19 18:33


今ではコンバインになってしまったが、それでも機械の入り口、或いはぬかるんで機械が入れない田の稲を刈る時、未だに重宝するのが稲刈り鎌だ。


普通の鎌より円周が若干開いた三日月状の形に、細かい鋸歯(のこぎりば)が付いたものだが、稲と言うのは分決して1本々々が育っていく過程で均等な距離で分決せず、固まったり1、2本少し株から離れて来るものもある為、秋になって稲を鎌で刈っていると、この少し、ほんの数ミリから1センチメートル程なのだが、離れて成長している稲に鎌の先が届かない場合が出てくる。


2、3株ずつ稲株を刈って行くと、一定のテンポが出てきて、その調子で刈っていると何株かに1本、2本の刈り残しが出てきて、これを防ぐ為に注意していると、他の株は1回で刈れるのに、そこは1本の稲の為に2回鎌をを入れなければならなくなり、これでテンポが崩れてくる。


それゆえ長年百姓をやっていると、どうしても手放せない鎌と言うものが出てくる。

特に鎌の歯が長い訳でもなく、柄が素晴らしい訳でもないのだが、良い鎌と言うのは何故かこの通常なら残ってくる1本の稲に歯が届くのである。


鎌で稲を刈っているとき、テンポが崩れて行くと大幅な時間の違いが出てくる。

それ以上に常に1本届かないとストレスが大きく、だんだんイライラしてくるものである。

これが全く無く、スムースに1株ごと綺麗に刈れる鎌は極めて少ない。


三井町では越前の業者が稲刈り鎌の行商に来ていたが、この同じ行商のおやじさんから同じ鎌を買っても、今1本に届く鎌は10年に1度くらいしか出てこないものだった。

勿論見た目で分かるものではなく、誰が見ても区別など付かないものだが、稲を刈ってみて初めて分かるのである。


私も、今はもう亡くなったが、村の古老からこうした鎌を1本譲り受けた。

「この鎌はお前が百姓を継ぐと言うから、俺のお祝いだ」

古老はそう言って私に鎌をくれたのだが、その時は「こんな古い鎌より金の方が・・・」と思っていたものの、今ではくだんの鎌は金には換算できない私の宝物、いや、家宝になっている。


そして大切な鎌はいつか本当に困った時に使おうと油を引いて保管し、毎年切れない、しかも今1本に届かない鎌でイライラしながら稲刈りをしている。


同じ事は輪島塗の下地付けでも一番難しい二辺地付けになれば、やはり顔をもたげてくる。

輪島塗の下地では足りなくなるのは先では無く後ろの方、これを尻手(しりて)と言うが、木へらの右側が足りない場合と多すぎる場合が出てきて、これも丁度と言うのは極めて少ない。


木へらの場合は先が減ってくると削って使って行く事から、正確には丁度の幅でいられる時間が少ないのである。


また「へぎ板」を削って「木へら」にしているのだが、この材料となる「あすなろの木」はその高級なものは「くさまき」と言い、木目が渦を巻くようにねじながら成長する木である為、反りや狂いの無いヘラはひとえに乾燥時間の長さによって生まれてくる。


慌しい昨今の時代ではこの乾燥と言う時間を金銭や納期から我慢できず、反りや狂いの無いヘラも少ないのである。


更に稲刈り鎌がそうであるように、同じ刃物である塗師小刀でも、今一歩届くか届かないかと言う違いは存在する。

刃形を丸くするとヘラは削り易いが、食い込みも増えてくる。

刃の角度を鋭角にすれば切れ味は良いが刃こぼれが多くなり、ちょっと油断していると研いでいる間に刃の下手の幅が広がり、「お多福刃」(おたふくば)、若しくは下膨れ(しもぶくれ)刃になってしまう。


塗師職人がどれだけ頑張っても一生の間に使える塗師小刀は3本か4本であり、この中でも自分が満足行く形の刃になっている時期は、1本の塗師小刀で、せいぜいが数ヶ月しかない。


私の仕事場には柄を朱塗りにした塗師小刀が1本置いてある。

刃は錆付いて穴の開いた部分も有るが、それでも研ぎ合わせて油を引いて保管してあるこの小刀は、師匠「坂本時三」から譲り受けた三日月刃小刀である。


不肖の弟子は一時期、「こんな仕事もう二度とするもんか」と言って師匠から貰った小刀を土手に放り投げ、都会へ飛び出した。

そして夢と現実の狭間で迷い、帰って来た時既に師匠はこの世になく、刃のみが土手の土に半分埋まって、それでも弱く太陽の光を返していた。

私は小刀を拾い、柄を差して朱塗りに仕上げた。


今でも時々この朱塗り小刀を抜いてみる時があるが、切るものも分からずに、それでも唯ギラギラしていたかった自分と、それを遠くから少し笑って眺めている師匠の姿が、小刀の中に見えてくるような気がするのである。


道具は一歩に手が届くものも手中にある。

しかし肝心の自分自身がどうしても今一歩に届かない。

これが悲しいところだ・・・。