「十文お講」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2018/11/29 05:57

多分この地方だけに限らず、昭和の年代までは日本中あちこちで残っていたと思われる各種の「お講」、ポピュラーだったものとしては「天神講」などがあるが、この三井町でも20年くらい前までは色んな「お講」が残っていた。


一向宗、浄土真宗の影響が強い三井町では主に寺院への寄進、或いは宗教上の行事費用のまかないとして、最盛時には「餅お講」や「十文お講」、それ以外に寺院主導の「お講」が年に8回くらい開かれていたが、正月三ヶ日明けに開かれる「餅お講」は寺の寄進費用を村人から集める行事として、今でも形だけは残っているが、村人が自主的に開く「お講」では、「十文お講」が年々廃止される傾向にある。


「十文お講」は最も単位の小さい「お講」で、私の住んでいる所で言うなら、三井町仁行保勘平(みいまち・にぎょう・ほうかんひら)の保勘平と言う16軒の集落区分で開かれる「お講」である。


毎月15日に各家順番で当屋になり、ここに村人が集まって相談事を決めたり、或いは行事の日程を決め、最後にその家の仏壇で皆がお参りをして解散するのがしきたりだったが、ここに「たのもし講」が付帯された時代も有り、「たのもし講」とは一定の金額を毎月村人が持ち寄り、そこで入札して利子を付けて集まったお金を落札する「お講」の事だ。


例えば16軒の家が有る場合、各家から1人が「十文お講」のお参りに参加し、そのおり1万円を村に預金する形を取り、ここで集まった16万円に利子の入札を行って高い利子を払った者が16万円を落札するが、落札は1年に1回しかできない。


しかも落札した者は1万円にプラスして翌月から毎月落札利子を払って行くので、最初に落札した者は多くの利子を払い、最後に落札した者はその利子分を余計に受け取る仕組みである。


こうした「たのもし講」の仕組みは、現代の地域リーダーや文化人に語らせると、宗教行事で年に1回はどの家でも金が必要な時が順番にやってくる。

それをまかなう為のものだと言う解説をする者も有るが、現実は違う。


熱心な真宗信者の「お講」である「十文お講」、これは毎月十文(じゅうもん)を持ち寄って、その金を集めて年末に寺へ寄進する制度に由来するが、実は熱心な真宗信者である村人が「十文お講」に集まらなくなる時代が何回も発生し、こうした集まりの悪さを解消する為に、少しだけ射幸心が煽られる「たのもし講」を付帯した「十文お講」が開かれるようになったのである。


だが、こうした「たのもし講」も「十文お講」も、昭和と言う年代が終わると同時に衰退が始まり、まず「たのもし講」から先に無くなって行き、地域が高齢化して空き家が増えてくるに従って「十文お講」もどんどん廃止されてきている。


この仁行地区でも半分の集落で既に「十文お講」は開かれていない。

高齢化に拠って皆が集まる「当屋」を開けない家が出てくる事、足腰が悪くなりお講そのものに参加できない人が増えてくるからである。

そのむかし、有力者の家が「十文お講」の当屋の時は、「たこ飯」が皆に振舞われ、読経先導も貧乏人には務める事が許されなかったと言われる「十文お講」・・・。


先月は私の家が当屋だったが、14軒ある村の家から集まった人はたった4人、私を除けば全員が70歳以上、80歳を超えた者が2名含まれると言う状態で、特に決める事も無く、読経の時間を合わせても30分で全てが終わってしまった。


保勘平地区では「十文お講」で茶菓子や振る舞いものを出さない、当屋はお茶のみ提供すると言う決まりが昨年から採用されているが、私は往時を懐かしく思い、皆の分の茶菓子を用意していた。


掟を破ってそれらを来た者皆に手渡しながら、どこかでこの夜の闇が深さを増しているような、そんな気がして皆が帰る姿をいつまでも見守らずにはいられなかった・・・。