2018/12/11 21:01


 

(ちょう)と蛾()はほぼ同じものだが、日本に措ける一般的な見分け方として、蝶は草木に留まっている時は羽を閉じているが、蛾は羽を横に広げて留まっているとされるものがあり、また蛾は夜行性で蝶は昼に活動する事になっているが、これは必ずしも全てがそうだとは言い切れない。

 

蝶は「科目」の中でも最も深いところに在る区別なので、この特性は一部の蛾も共有し、また蛾の一部特性を蝶が共有する場合も有り、蛾の伝説に関しては欧米では概ね魔女、日本では妖怪の化身若しくはその手先となっている場合が有り、この点でも蝶には「魂」(たましい)に関わる伝説が多く残っている事に鑑みるなら、遠からずのものが有り、どちらかと言えば蛾は凶、蝶はそれより少しだけ温情が有る凶と言う程度の差かも知れない。

 

無論中国の伝説に出てくる「姫蛾」は半分の幸運と言う面も持っているが、本質は「吉凶相具」であり、蝶にしても欧米では「魂」や「復活」の象徴とされるも、その前提には「死」が横たわる。

ギリシャやイタリアに残る死者の上に蝶が舞い、体に止まると死者は蘇るとされる伝説、キリスト教では復活の前触れとして蝶が舞う姿が考えられているが、これらはどこかでタイミングに拠る次元重複のような感覚かも知れない。

 

日本に措ける蝶の伝承で最も多いのは「祖先の霊」であり、また仏の使いとされる場合もあるが、この概念は蛾が間違いの無い「凶」「不吉」に対し、一面の救いや情けが加えられている点に相違がある。

ポピュラーなものでは、何故か部屋から出て行かずはらはらと舞っている紋白蝶(もんしろちょう)は、亡き彼の母親が息子の凶事を知らせに来ていると言われるものであり、この反対に母親が夫や息子の凶事を知る事例で一番多いのが太平洋戦争時のものだった。

 

畑仕事が一区切り付いた母親、彼女の周りを何故か蝶がひらひらと舞っていて離れない。

この場合は揚羽蝶(あげはちょう)が多かったようだが、不思議に思いながらもその事を忘れかけていた頃、「戦死」の報が届くのであり、夫や息子が自分の死を知らせようとしていたのだろうと語る彼女達に、これを科学的に否定するなら容易い事だが、私はそれに意味を見出すことが出来ない。

 

また生後間もない赤子に対する蝶は間違いの無い「凶」であり、この場合は生まれた子供が死ぬ恐れが大きかったのだが、こちらは元々出生直後に死亡率の高い時代からの伝承で有り、こうした背景も加味される必要はあるだろう。

 

ちなみに蝶や蛾は漢語であり、日本では多くの呼び名が日本独自の発展を遂げたが、蝶に関しては「やまと言葉」は存在するものの、これが途中で駆逐された割には、例えば万葉集には蝶を歌ったものは皆無である。

 

この背景を考えるなら、その昔から蝶は縁起が悪いとされていたのかも知れない。

次の瞬間はどの方向を飛んでいるのか予想も付かない蝶は「女心」や「男心」を現すに良さそうな気もするが、やはり「死」に絡んだものは避けられたのだろうか・・・。

 

最後に蝶だけとは言えないものの、余り一般的ではない飛来物の伝説、たった3例しかないが、この3例目を自分が今朝体験したので本文を寄稿させて頂いた次第である。

 

私は毎朝父親に食事を食べさせた後、神棚の榊の水を交換するを日課としているが、神棚から左右の榊が入った白磁の神器を降ろし、両手に持って廊下を歩いていた時だった。

その2つの榊の真ん中下辺りから一匹の蛾、それも雀ほども大きさの有る蛾が羽を広げたまま、まるでツバメのように羽ばたきもせず、凄いスピードで飛び出したかと思うと、自分の腰くらいの高さをずっと飛んで行って廊下の突き当たりで消えてしまったのである。

 

大体朝の気温は室内でも4度くらい、こうした季節に件の大きさの蛾がいること自体おかしいが、飛んでいる間全く羽ばたきしない蛾など聞いたことが無い。

しかも何となく蛾は後ろからやってきて、私の体をすり抜けて来たか、或いは榊の少し後ろから継続性を持ちながら突然発生して来た感じで、最後は半透明になって跡形も残っていなかった。

 

一瞬ポカンとしたが、何せ忙しい早朝の事、「幻覚、幻覚」「忙しかったからだ」でその場は片付けてしまったが、後に気になって過去に集めたファイルの中から色々記録を引っ張り出して調べてみると、真贋は不明なのだが何と1799年、岡山県美作(みまさか)で当時32歳の男性が、もう一件は長野県松代町で1891年頃と思われる個人の家の記録に、そう言う話を聞いたと言う記録が残っているものの、その場は記されていないと言う記録が残っていて、状況は違うが後ろからそれが体をすり抜けて行ったらしい。

 

だが恐ろしいのは、1799年の時は鎌が回転しながら男性の体をすり抜けて消えたらしく、松代町では正体不明の鳥が人体をすり抜けたらしい事で有り、つくづく自分の場合は蛾で良かったと胸を撫でおろした。

 

そして残念な事だが、こうした過去の記録にはその後が記されていない事であり、一体彼らはその後好事に遭遇したのか、それとも凶事に遭遇したのかはとても気になるところだ。

 

私の場合は科学的に考えるなら、寒さで幻覚を見たのだろうと言うのが常識的な見解だろうが、もしこれで私が凶事に遭遇して死んだら、それはそれで「蛾が自分をすり抜けて追い越して飛んで行ったら命が危うい」と言う事例が確かめられる事になる。

これはこれで嬉しいような気もするが、死んでから嬉しいも何も無いか・・・()