「ヴァイオ・エシックス」・1 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/01/09 19:34



1934年~1972年にかけて、アラバマ州タスキギーでのことだが、黒人男性約600人の梅毒患者について、その病状変化を調査研究するために、40年に渡って患者に積極的治療、処置を一切行わず、ペニシリンなどの抗生物質の使用も行わなかった。
しかし患者には「無料」の治療が約束され、食事を提供し、死後の葬儀費用も当局が負担したが、患者の死後はどうなったかと言うと、データ作成のために無断で解剖が行われていたのである。


これはアメリカ連邦政府公衆衛生局(PHS)が関与し、この地域全体の病院で秘密裏に行われていた梅毒研究であり、しかも本人には無料の治療と言いながら、その実治療は行われず病状経過の研究がなされていた、またこうした被験者は黒人に限られていたことなど、1972年にマスコミよってこの事実があばかれたとき、アメリカ世論は大変な問題意識に包まれたが、「治療」や「無料」に名を借りたアメリカ当局の悪質な人体実験はこれだけに留まらない。


ソルトレーク市郊外で行われていたのは、細菌戦争に備えてのバクテリアの大気中放出実験であり、こうしてどれだけの市民が影響を受けるか、およそ9年間にわたり170回も実験していたのはアメリカ陸軍である。
またカリフォルニア州ではブドウ園の農薬について、その安全性を実験する為に、発がん性物質が含まれた薬品であるにも拘わらず、本人達に告げず学生ボランティアを被験者として参加させていた。


さらにこれはひどい話だが、ピッツバーグの病院では、最初から実験データを集めることが目的で、3歳の幼児に肝臓、脾臓、大腸などの5つにも及ぶ臓器移植が行われ、この幼児は3週間後に死亡している。


このようにアメリカでは掲載した事例以外にも多くの人体実験が行われてきたが、こうした実験の被験者の大部分が、アメリカ人とは言ってもアフリカ系やスペイン系、それに囚人や高齢者、女性、幼児と言ういわば社会的弱者やマイノリティーであったことから「人権」としての問題も発生し始めるが、その一方で起こってくるのは「生と死」の問題であり、例えば治療中の患者の主権の問題だった。


カレン・アン・クインランさんは回復の見込みがなく、眠ったままの植物人間状態だったが、人工呼吸器に繋がれた娘の姿に、彼女の両親は機械に頼らず自然に死を迎えさせることを望み、合衆国とニュージャージー州に「死ぬ権利」を求め、裁判所に提訴した。
これに対して1976年、裁判所はこの主張を認め、カレンさんの人工呼吸器は外されたが、何と彼女は人工呼吸器が外されてから10年間自発呼吸を続け、生存したのである。


だがこのカレンさんの場合には人工呼吸器は外されたが、「自然死」を望むと言う観点から水分や栄養分の補給は続けられたが、その後起こってくるナンシー・クルーザンさんの事例では、全ての生命維持装置を外すと言う、こうした概念からさらに突きつめられた「死ぬ権利」にまで話が及んで行ったのである。


やはりカレンさんと同じように植物状態となったナンシー・クルーザンさん、彼女の状況を見かねた両親は、裁判所に娘の「死ぬ権利」を主張し提訴したが、これはその影響の重大さから合衆国連邦最高裁にまで争議が及び、結局連邦最高裁は1990年6月25日、この件に関しては「本人の意思が不明確」なことを理由としてナンシーさんの両親の訴えを退けた。


しかしここで連邦最高裁はある画期的な判決をしている、すなわち「死ぬ権利」を認めたのである。
連邦最高裁は本人の意思があらかじめ明確となっていて、これを実証できれば「死ぬ権利はある」としたのである。
ナンシー・クルーザンさんにはその後、新たな証言が見つかり、これに基づいて本人の意思を踏まえた上で、両親の主張を受け入れたミズーリ州ジャスバーグ検認裁判所がその「死ぬ権利」を認め、彼女の水分、栄養補給チューブは外された。
1990年12月26日、ナンシーさんは死亡した。


そしてオランダの「安楽死法案」である。もともとオランダでは、以前から医師会で作成した基準を満たしていれば、司法判断で安楽死が容認されていたのだが、オランダ議会下院、上院でも通過した「改定埋葬法」がこの「司法判断の容認」に法的根拠を持たせる結果と成り、従ってあくまでも本人の意思が大前提になることでは「死ぬ権利」を踏襲しているように見えるが、ナンシーさんの場合は生命維持装置を外す、と言う積極性を持たない「死ぬ権利」だが、1994年のオランダの「埋葬法」改定は、医師の投薬によって、死に至らしめることを認めている点で、これは区別されるべき大問題となった。


また「生」措いて、1992年の段階でアメリカにある代理母仲介業者は30であったが、2008年にはこの数が、闇業者も含めて4000から6000あるのではないかと言われていて、この問題が表面化したのは1988年、メリー・ベス・ホワイトヘッドさんの事件からである。


彼女は依頼人である精子提供者の男性から、金銭の報酬を受けて男の子を出産、その後彼女はこの男の子を手放すことを拒み、依頼人男性との間で裁判となったが、1988年2月3日、ニュージャージー州最高裁は、メリーさんの親権は認めたものの養育権を否定し、結果としてこの生まれた男の子は代理母依頼人の男性に引き取られたが、金銭で子供をやり取りするありようは厳しく糾弾され、代理母出産は不道徳で違法であるとの司法判断がなされた。


そしてアメリカのみならず、各国で根強く議論されている妊娠中絶に対する考え方だが、1973年合衆国連邦最高裁は、人工妊娠中絶を女性のプライバシー権として容認したが、1989年にはこの権利に中絶時期の制限を設けた判決が同じ連邦最高裁から出され、これを廻って妊娠中絶禁止運動が盛んになっていった。


ただ暴行を受け、それにより妊娠した場合、また各国で異なる法令上の未成年者の規定内の妊娠、経済的問題によるものと、その事情が複雑多岐に及ぶ妊娠中絶には、一定の基準が未だに設けられないのが現状である。


「ヴァイオ・エシックス」・2へ続く