「ヴァイオ・エシックス」・2 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/01/13 06:59



さて・・・、どうだろうか、人間はどこからどこまでを自分として、何を「他」とすれば良いだろうか、子供が欲しければ例え悪魔に金を渡してもそれは欲しい、瀕死の重体になり病院で治療を受けている者は、主治医に何か疑問があっても尋ねることができるだろうか。
また経済的に苦しく、そうした中で入院生活を続ける患者が、家族のことを思い死を選択する場合、それは本人の意思と言えるだろうか。


はたまた臓器移植では中国がその臓器の多くを死刑囚から摘出しているが、そうした臓器移植の需要のために死刑囚が増えないとはいえないのではないか、また貧しい地域で売られていく子供はその後どうなって行くのだろう。
男達のおもちゃにされることだけでも許し難いが、また必要な臓器を取られて殺される・・・、そうしたことが一切無いと人類は言えるのだろうか。


金のために見知らぬ者の子供を産む、そしてその子供はお金でやり取りされ、それでも自分に子供ができたと本当に喜べるのか、その子は幸せなのか。
少数民族だから、肌が黒いから、貧しいからといって彼らに危険な薬を臨床試験し、それで改良を加えて、安全性が確認されたら白人や金持ちが使う、こうした社会が何を持って正義や平等を主張できるのか、黒人女性にチンパンジーの精子を受精卵に組み込んで戻し、それで研究者は何を研究したと言うつもりだろうか。


実はここで挙げられた、これでもごく一部の事例だが、こうしたことを契機に人類が考え始めたことがあり、それが「生命の主権者」、バイオエシックスの考え方である。
ビオス(命、生き物)と言う言葉と、エシイコス(習俗、倫理)と言うギリシャ語にその名は由来しているが、合成語で日本語になおすと「生命倫理」とでも呼べるだろうか。


すなわち女性であるから、子供であるから、貧しいから、マイノリティーであるからと言う理由、また片方は治療を受ける側であり、片方はそれを治療する側と言う立場による差によって、個人が不当な扱いを受けることの無いよう、そして「生きる権利」も「死ぬ権利」も当事者、つまり本人であるとする考え方のことであり、この考え方の範囲は広く、人権、宗教、性差、生死観、法律、医学、倫理、国家、民族などあらゆることから生命の権利と、その平等を考えて行こうとするものである。


この概念の範囲はとても広い、従って一回の記事では説明しきれるものでは無いことから、このテーマは今後何回かに渡って、詳しく分野ごとに記事にして行こうと思うが、今夜は簡単な基本理念だけ、そしてバイオエシックスと言う名前だけでも憶えておいて頂ければ幸いである。


バイオエシックスの基本理念は5つある。
まず「自己決定」、つまりどんな場合でも自分の命の主権は本人にあると言うこと、そして2つ目は「その行いが善意であること」、3つ目は「公正であること」、4つ目には「平等であること」、5つ目は「人間らしさ」についてである。


公正と平等は同じように思うかもしれないが、前者はシステムを指し、後者は概念を指していると思っていただければ良いだろう。