「イチゴショートケーキの混乱」 | 古典漆芸技術 夏未夕漆綾

2019/02/11 09:32



今ここに初めてイチゴショートケーキが作られたとしようか・・・。
人々は初めて味わうその食感や味に感激し、誰もが賞賛を与え、作れば作るだけ売れて行ったとしよう。
やがてそうした現実に、そのケーキを開発した店では無い他の洋菓子店もイチゴショートケーキを作り始め、ここにその当初は需要が供給を遥かに凌駕していたイチゴショートケーキの市場は、次第に供給が需要に追いつき、ついには供給が需要を追い越した状態になっていく。
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そしてこうした状態の端末、つまりは最後の方になってイチゴショートケーキ市場に参入した洋菓子店の売上は、あまり芳しいものとはならず、ここに従来存在したイチゴショートケーキはあらゆる可能性を求めて改良、改悪されていくことになる。
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高級素材を使ったプレミアムイチゴショート、安い材料で大量生産される普及品イチゴショート、はたまたチョコレートをコーティングしたイチゴチョコレートと言った具合に、その初期段階では一つだったものが、あらゆるバリエーションを持つようになり、このバリエーションは供給が需要を追い越すに従って増加し、「イチゴショーケーキ群」を形成するようになり、「群」全体の売上は伸びていくが各洋菓子店の売上は減少し、ついにはイチゴショートケーキ本来の姿は失われるか、激しく希釈された状態となる。
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なおその上で初期のイチゴショートケーキの概念は大幅に拡散し、ここに至ってイチゴショートケーキの価格も安い物から高いものが混在し、品質も上下が発生し価値観が不安定になっていく。
いわゆるイチゴショーケーキの混乱が発生してくる訳だが、こうして混乱した市場はやがて一般大衆の困惑を招き、一般大衆は自身での価値判断が困難な状態に追い込まれる。
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そこで現れてくるのが「権威」になるが、これはワイン市場で言えば「ソムリエ」、学識で言えば「大学教授」や「評論家」と言うものだが、近年コーディネーターと言う輩も同じように振る舞い、「権威」も上下幅や高低が現れてくること、またそもそもこうして分散してしまったイチゴショートケーキは、もはや特定の概念で縛る事が出来ない為、「権威」の言葉は初めから根拠のない独善でしかなくなっていて、やがてそうした事に一般大衆が気づいていくと、社会は高々イチゴショーケーキ一つでも、虚無感覚と言う薄いベールを被ることになる。
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それゆえ、この現象は何もイチゴショートケーキに限らず、人間のあらゆる場面で現れてくる基本原理なのだが、政治や経済、情報の分野でも全く同じ傾向を示し、根本的な原因は「分散」にあり、その分散の最大の要因は一般大衆の市場参入、つまりは民主化にこそ堕落の原因がある。
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イチゴショートケーキでも最初に食べた時は感動するが、これが2度目、3度目と回を重ねるごとに感動は薄れ、市場のあらゆる場面で豊富に出回ってくるようになると、「感動」は「普通」になり、最後は「無関心」になって行く。
そればかりか人間は必ず寿命が有り、この中では前者の「感動」から「無関心」までの流れと相まった「必然的劣化」が存在するのであり、こうしたものの集合体が民衆であることを鑑みるなら、民衆が関与の度合いを深めるに従って、あらゆる事象は混乱や崩壊を迎える現実が有る。
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情報通信の最も初期段階は音声伝達であり、次に発生してくるのは狼煙などの表形伝達や文書などだが、これは確かに情報と言うに相応しいものだろう。
また近代に発生してくるモールス信号なども同じであり、次に発生してくるラジオや電話なども、大衆化する以前は自身が求める必要最低限の情報で有った事から、これも情報と呼べるだろうが、ラジオが一般大衆の需要に応じて低価格化してきた頃から、「分散」若しくはその概念の「崩壊」を迎えていった。
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つまり情報の共有は「権力」の分散を意味するのであり、多くの者が知る情報は権力を細かく砕き、為に権力が持つ責任や「権威」が持つ「正当性」の分散につながり、社会全体が少しずつ責任を消失させて行った。
そして情報がテレビによって映像化されてしまった時点で一つの権威が失われ、新たな細かい多くの権威が発生し、これがインターネットと共有化されて来た今日に至っては、双方向に情報が伝達できる状態となり、発生してくるものは「どれが本当のイチゴショートケーキ」かと言う事になってくるのである。
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これに対して一般大衆は何が本当なのかを「権威」に求めようとするが、同じように多くの者が自由に意見を言える社会は、本来は専門家と言われる部分からも、その権威を拡散させてしまっている為、一つの情報の正確さに対して分散された、限りなく個人に近い一番権威の小さい形の存在が、各々に自身こそが権威であるように主張し、意見を述べることから、全ての情報が不確定な上に、権威と言う後ろ盾も持てない状態となっている。
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この状態は例えば世界全体の政治経済で言うなら100年、200年単位の変革期が近づいていると言うべきなのだろう。
つまりこれから国際社会は政治的にも経済的にも、庶民生活に取っても大きな混乱に向かいつつあり、しかもそれは避けられないことなのかも知れない。
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だが完全な集合と完全な分散は存在し得ない。
従って混乱、或いは現秩序の崩壊、そして秩序との関係は大きな流れの、どの状態を切り取ったかと言うことに過ぎない。
そして世界が如何なる状態で有ろうとも、その中で何かを考え思うのは、あくまでも個人一人一人であり、その者が置かれている今の状況によってしか判断が為されないものの集合が世界である。
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つまり利便性や情報を求め続け、社会を堕落させて行くのも民衆と言う我々自身なら、次のまたいつかは壊れていくだろうとも新しい秩序や安定を創造して行く者もまた、我々自身である。