2019/02/17 19:03



哲学、物理学、政治学、その他あらゆる学問の分野において博識があり、いわゆる「賢者」と呼ばれた「アリストテレス」(紀元前384年ー322年)は、プラトンの弟子であり、またマケドニアの「アレクサンダー大王」が幼少の頃に学んだ、大王の家庭教師でもあった。
その名前は(aristos)「最高の」と言う意味と、(teios)「目的」と言う意味の言葉を由来としている。
 
そして彼の説く政治学、古代政治学の政治体制論は、ギリシャ人文主義が見直されたイタリア「ルネサンス」の時期に措いてですら見直されることがなく無視され続けたが、そのルネサンス末期、つまりフランス革命に始まる近代政治学誕生の黎明期にはこれが見直され、今日では近代政治学の基礎的発想、政治学の源泉の1つとして認識されている。
 
アリストテレスは国家に措ける政府の形態、「政体」と言うものを支配者の「数」によって分類しているが、この視点は実に的を得たものであり、1人が国家を支配する「君主制」(王政や帝政)、少数の者が国家を支配する「貴族制」、多数の者が支配者となる「民主制」に政体を分類しているが、この中で彼は単に政体を分類するだけに留まらず、その三者がどう言う形で移行していくか、またこうした政体の「循環性」についても言及しており、このことは歴史家「ポリビウス」の「政体循環論」(regular cycle of constitutional revolution )でも知られるところである。

 

すなわち、有能な者、競争を勝ち残った者が君主に選任され、ここで国家の政治の在り様は「君主制」となるが、君主が世襲されて行くことによって「専制政治」、つまり1人の統治者によって何でも出来てしまう個人所有国家が発生してくる。
そしてここで少し補足を加えると、専制政治と独裁政治では、民衆が被るあらゆる苦難の質に措いて変化はないが、独裁政治はその統治者が「民衆」によって選ばれる、またはそこに身分的階級の上下はないが、専制政治の場合は、そこに身分の絶対的な乖離があり、統治者はその身分に措いて民衆を支配するため、独裁政治と専制政治はこの点に措いて区別されるものだ。
 
専制政治、いわゆる個人所有的国家体制は、やがてこうした在り様に反発する「有力者」の革命によって倒されることになるが、ではこの場合の有力者とは何か、それは専制政治体勢で君主の下にいた貴族、または君主に反感を抱いていた豪族と言う事になり、専制政治が倒された初期の頃は、彼らによる言わば合議制がその政治体制になるものの、その発生段階からこうした体勢には力の強弱が内包されているため、時間を置かずして「寡頭政治」(かとうせいじ)へと変質していく。
 
「寡頭政治」とは少数政治体制が更に少数化していくことであり、これは現代の政治体制でも存在しているが、いわゆる同じ権利を持った中でも、有力な者がその権利の委任を集めれば、その権利者の中でも上位の者と下位の者が発生し、次第に権利が少数の者に集中してくることを言う。
日本で言えば「派閥」や「グループ」が発生し、その中での会長や派閥領袖が大きな権力を握るのと同じことであり、こうした有り様でもその有力なことの要因が金銭による縛りであるなら、それを「金権政治」と言うのであり、はるか紀元前、遠くギリシャの時代から存在し、また政治学的にも知られていたことで、この原理は全ての集団に措いて発生してくる根本原理でもある。
 
やがて寡頭制が究極に達した場合、それは専制政治や独裁政治と同じ形式となってしまい、そこではやはり最終的には2、3人、若しくは1人による個人所有国家体制が再燃してくるのであるが、この貴族と言う部分を「政党」と言う言葉に置き換えるなら、そこに現代の政治が何故こうも民衆と乖離するのかが見えてくるだろう。
結果として貴族政治が寡頭政治に移行すると、次に起こるものは民衆による革命と言う事になる。
 
更にここからが面白いところだが、すなわち君主から貴族へ、そして貴族がだめなら今度は革命は「民衆」から起こるのであり、アリストテレスは貴族制から「寡頭制」へ移行する段階を「堕落していく」と表現しているのであり、その堕落の先に「民主制」を置いているのである。
アリストテレスは堕落の果てに有るものとして「民主制」を考えていたのだが、これは言い得て妙だと思う。

 

つまり堕落して寡頭政治になった貴族制は、更に下の民衆によって倒され、民主制は貧者が権力を欲しいままにし、最後は衆愚制(しゅうぐせい)に陥り、この無秩序に対応するため人々はまた君主制を求め、そして政治はまた君主政治に帰って行く・・・、アリストテレスは君主制、貴族制、民主制をこのように捉え、またこれが循環するものであると説いている。
 
また彼は貴族政治の堕落した形態を「寡頭政治」とし、民主政治の堕落した形態を「衆愚政治」としたが、ここではどの段階における堕落も「必然」と定義し、この循環は避けられないものと考えていたようだ。
何かで止まった形態をして漠然と完全な有り様を考える現代政治学の感覚は、この事を今一度良く考えておく必要があるのではないだろうか。
 
「民主政治とは、多数の貧民による貧民のための政治である。社会の多数者は当然に貧しく、教養は低く、富んだ者を羨み、かつ買収と扇動に弱い。そしてこうした状態を衆愚政治と言い、民主制は必然的に衆愚政治に堕落する」
 
これがアリストテレスが言う民主政治の必然である「衆愚政治」と言うものであり、ここで言えることは、政治が民主化していくことを理想の政治とはしていないことであり、常に安定したかと思えばそこから崩壊、堕落が始まり、更に下のグレードへと権力は向かっていくが、国家や大局的な政治の概念は、民主化とともに貧相になっていくとも言っているのである。
 
 
振り返って日本の在り様を鑑みるに、太平洋戦争を境界に立憲君主政治から自民党政治へと移行し、そこから一時期は民主党政権へ移行して行った過程を見ると、この2300年も前の学者の言うことが、古代政治学どころか近代政治学の最先端のような輝きを持っているように私は感じるのであり、基本的に日本には大変微弱では有るが、立憲君主制も残されている。
 
もし日本に完全なる政治の不信が起こり、また巨大災害によって政府が瓦解したら、その時日本国民は誰を頼るだろうかを考えると、また政治を100年の単位で考えるなら、アリストテレスの言葉は決して軽いものではないように思うのである。
ただ惜しむらくは、こうした循環論が事実となるか否を自分の目で確かめることが出来ない、このことが少し心残りとなろうか・・・。